2024年の日本政治史—ネット選挙の新時代と積極財政 

2024年の日本政治史—ネット選挙の新時代と積極財政

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この記事は2024年の日本政治の流れをニュースと選挙を中心にして「ネット選挙の新時代」として振り返る記事です。

2024年の始まりから政治の流れを追いかけ、衆院補選、東京都知事選、自民党・立憲民主党総裁選、衆院総選挙、兵庫県知事選などを扱います。

2024年の日本政治に何が起きたのか、その全体像が生き生きと伝わる記事にしたいと思っています。

2024年は政治や選挙を観察していて興味の尽きない年でした。「風」が吹くからです。

都知事選の石丸伸二氏、自民党総裁選の高市早苗氏、総選挙の国民民主党と玉木雄一郎氏、そして、兵庫県知事選の斎藤元彦氏が、風に乗った人々の代表例でしょう。

ここでいう「風」とは、選挙期間中に起こり、事前の下馬評とは大きく違う結果をもたらすものです。それは選挙を通じて政治の風景をがらりと変えます。2024年の「風」の出どころは明らかにネットでした。その新しい「風」の特質と、その帰結をどう見るべきなのか。この「風」を主役として、2024年の日本政治の観察記を記したいと思うのです。

目次

2024年の都知事選までの政治風景—ネオ55年体制から再度の政権交代へ?

「安倍一強」時代からネオ55年体制へ

2024年以前の政治風景を振り返っていきましょう。

現在の政治風景の起点は、やはり第二次安倍政権です。自民党が選挙で勝利し続け、「安倍一強」と呼ばれた時代です。この「安倍一強」の延長線上で、最近はネオ55年体制ということも論じられました。この「ネオ55年体制」ということについてまずは見てみましょう。

戦後昭和の政治は、東西冷戦という世界史的背景のもと、資本主義体制を維持する「保守」の自民党が万年与党で、社会主義を目指す「革新」の社会党が万年野党という、いわゆる55年体制によって特徴づけられます。

対する平成の政治は、社会主義陣営の崩壊に伴う冷戦の終結という新状況に対応して、政権交代可能な「保守」二大政党制に取り替えることを目指していました。その政権交代は2009年に実現しましたが、その結果生まれた民主党政権が国民の期待に十分に応えることができず失敗に終わったあと、いろいろあって日本政治は最終的にはまた55年体制のようなものに戻ってしまった。それがネオ55年体制論の認識です。

このネオ55年体制ということが言われるのは、立憲民主党が野党第一党となったことと密接不可分でしょう。民主党の政権交代が無惨な失敗に終わったあとの第二次安倍政権時代、唯一政権交代の可能性があったのが、2017年の「希望の党」騒動のときです。2016年の東京都知事選で小池旋風を巻き起こした小池百合子が、「希望の党」で衆院選に進出。そこに民主党の後継政党である民進党が飲み込まれていったのです。

初めは政権交代しかねない勢いで、再び保守二大政党制を実現する可能性があった希望の党ムーブメントでしたが、小池都知事による「(憲法や安全保障についての考え方が違う9条護憲平和主義のリベラル派は)排除いたします」という言葉が冷たいものと受け取られて大失速。排除されたリベラル派である枝野幸男が中心となって立ち上げた立憲民主党が同情を集め、議席数でも希望の党を上回って野党第一党となりました。

その後、希望の党は国民民主党に引き継がれますが、一貫してその勢力は立憲民主党に劣り、2020年には大半が立憲民主党に合流。国民民主党に残ったのは玉木雄一郎を中心にしたごく少数の議員でした。

こうして立憲民主党は野党第一党の地位を確かなものにしたのですが、その結党の経緯から明らかなように、リベラル色が強く、55年体制で万年野党だった社会党的なものを色濃く受け継いでいます。護憲派で、安保法制は違憲、原発は反対等々、少なくともこれまでの日本の政治風土のなかでは「現実的でない」とされる理想主義的な立場を取り、したがって政権担当能力を疑問視され、支持は広がりを欠き、せいぜいが与党批判に終始する万年野党と見做されてしまうことも多いのです。

民主党下野後の野党分裂、希望の党騒動など、自民党政権復帰後のさまざまな政治の動きの中で、このような性質を持つ立憲民主党が野党第一党に収まったことが、政権交代の現実味を失わせたわけです。これが現代の政治システムがネオ55年体制と言われるうる所以です。

「安倍派崩壊」と立憲民主党の台頭―再び「政権交代前夜」へ(?)

2024年は、このネオ55年体制の変容がかすかに予感される年として始まったということができるでしょう。

2022年参院選直前の安倍元首相の死以降、そこから噴出した統一教会問題・国葬議問題の紛糾を受けて、岸田政権の支持率は低迷。2023年には広島サミット等の外交成果を受けて持ち直すも、年末にかけて、安倍派を中心とした「政治資金不記載問題」、いわゆる「裏金問題」にて再失速。

こうした安倍一強のいわば「負の遺産」とされるものが尾を引くなかで、自民党の支持率も低迷。このことの背景には、コロナ後の世界インフレの煽りを受けて、日本でもインフレを輸入することになり、コスト・プッシュ型のインフレが生じたこともあるのでしょう。その中で二年以上も実質賃金が下落し続け、さらにインボイス導入や社会保険料増額等の負担増政策が行われた結果、生活苦の問題が広がりつつあったのです。それが、莫大なお金をサッと懐に入れられる(と受け取られた)「裏金議員」への反発の火に油を注いだというわけです。

こうして2024年が始まると、4月の衆議院の三つの補欠選挙では立憲民主党が全勝します。このうち二つの補選は、自民党議員の不祥事からの辞職の結果だからということで、自民党が候補を出していなかったことも大きいものの、自民が強い山陰島根の一選挙区では直接対決した上で自民党に大勝したこともあり、立憲民主党は明らかに勢いづいていました。万博や兵庫県の文書問題に端を発した維新の失速もあり、立憲民主党を中心とした政権交代ということが、久しぶりに少しは現実味を持って語られ始めたのです。

ネオ55年体制から、再び政権交代可能な(保守?)二大政党制へ向かうのか。このことへの微かな期待が、大要、東京都知事選までの2024年の政治周りの空気を特徴づけていたということができるでしょう。しかし、この東京都知事選で全く異なる物語が始まってしまうのです。そこからが本当の日本政治の2024年の始まりです。

ネット選挙の新時代を開いた東京都知事選

蓮舫による「政権交代演出」「女の戦い」をスルリと交わした小池百合子

さて、このような「政権交代期待」の空気を受けて、立憲民主党を離党して東京都知事選に出馬した蓮舫は、現職の小池百合子を「裏金」自民党と結びつけ、政権交代的な対決図式を演出することを選挙戦略としました。

4月の東京15区補選では、立憲の候補が小池が推した乙武洋匡を大差で下していたこと、また、自民党のイメージ悪化や小池自身の学歴詐称疑惑の再燃もあり、選挙戦開始当初は、ひょっとすると蓮舫が女帝小池を倒す、劇的な「女の戦い」が展開されるのではないかとの期待もマスメディア中心にあったように思います。

しかし、小池が公務優先を口実に討論会に出てこなかったり、15区補選のつばさの党騒動の余波もあってか街頭活動を控えたりするなかで、女の戦いは盛り上がりを欠きました。小池は蓮舫の戦略を不発とするため、自民党とのつながりを見えにくくし、ただ公務を報道させることをもって選挙活動に代えていたのです。

他方の蓮舫陣営についても、支援者のうちの左派系の活動家たちの選挙運動が先鋭化、Rシールを街中に貼るなどの迷惑行為、あるいは新宿で集団で歌って踊り出すなど、左派リベラル系の内輪受けに走り、広がりを欠いた面は否めません。

ネット選挙の新時代を開いた石丸伸二は「消滅する媒介者」だったのか?

そんななかで一人「風」を起こしたのが前安芸高田市長の石丸伸二でした。石丸は市長時代よりYouTubeでの発信を重視しており、典型的に「老害」「既得権益層」に見える市議会議員やメディアを、石丸が小気味よく「論破」する、ちょっと「スカッとする」作風で一部で人気を博していました。

その石丸が東京都知事選に出馬、短い街宣を多数行い、それをどれほど組織的・意図的な試みなのかは不明ですが、「切り抜き職人」などと呼ばれる有志に撮影してもらっていました。それが短く編集された「切り抜き動画」としてYouTube、Tiktok、Xなどに多数投稿され、急速に認知を広げたのです。その結果が約130万票の蓮舫を抜き去る約165万票の2位という番狂せです。小池は約290万票を集めました。

この躍進の背景にあったのは何でしょうか。もともと石丸は反既成政治家・反マスメディアだったが、これが同じ傾向を持つ若年層を捉えたということでしょう。

そもそも選挙は徹底的にマスの世界で、数がものをいいます。だから選挙は人数が多い高齢者、同時視聴者数が多いテレビ、議員や運動員や資金が多い既成大政党の独壇場で、いわば、「高齢者-テレビ-既成政党」のトライアングルが形成されていたのです

このトライアングルの反対に存在していたのが、その全要素をひっくり返した「若年層-ネット-無党派・政治的無関心」のトライアングルです。ここに自身も41歳と若く、マスメディア批判でネットで著名となった石丸が、「政治屋一掃」などと既成政党・政治家を批判しながら、ネットでアプローチをかけていったわけです。

その結果、マスメディアをあまり見ず、マスメディアが設定した対立構図上の小池(自民)も蓮舫(立憲)もどちらも古い政治家とみなす若年層が、大挙して石丸に投票することになったのです。

そして、以上の二つのトライアングルのズレが露呈したのが選挙後の石丸のテレビ出演です。そこで石丸はやたらと挑発的・敵対的な態度を取り、各方面から批判されることになったのですが、このことは、まさにこの二つのトライアングル間の断層を示しています。マスメディアやその視聴者からみれば、「なんでこんなやつがこんなに支持されたんだ」ということになるわけです。

さて、この石丸現象を考える上で重要なのは、石丸が「政治屋一掃」や「東京を動かそう」など、あまり具体的な政策に言及せず、一種、無色透明な抽象的標語に終始した点です。

そもそも、2024年以前のネット選挙で躍進を果たしたのは、2019年参院選のれいわ新選組やNHK等、2022年参院選の参政党など、イデオロギー的に極端な政党や一点突破的な主張やパフォーマンスを行う政党でした。これらの政党は、マスメディアでは扱われないが、ネットを使って日本全国に薄く浸透し、そのイデオロギー等に共感する少数の人々を全国的に掻き集めることにより、参院選の全国比例によって国政政党化を果たしたのです。

石丸がこれらと一線を画したのは、ある種の無色透明さによります。その選挙戦は、先のトライアングル「高齢者-テレビ-既成政党」に漠然と反対し、何かを「変える」という期待を引き起こすことで、「若年層-ネット-無党派・政治的無関心」という、これまでの選挙から疎外されていた層に広くアプローチできたのです。その運動は、イデオロギー的に無色だから結果として「中道」であり、古いものを変えていく「改革」姿勢を強調する。この戦略によって、おそらくは日本で初めて、ネットを通じてマスをとらえることが可能になりました。

ネットでマスを捉える。このことには、ネット自体がここ数年で徹底的に動画中心となり、訴求力の点でテレビにまったく遅れを取らなくなったということも寄与しているでしょう。文章よりも動画の方が見る人が多いし、またメディア自体の訴求力が大きいからです。

さて、このような背景をうまく活用した石丸は明らかにネット選挙の新時代を切り開きました。失われた30年と呼ばれる停滞においては政治的無関心層にとどまっていた若年層・現役世代のお尻に、コロナ後の物価高でついに火がついていて、その不満が政治的な疎外感として潜在していたのです。石丸はその不満感に捌け口を与えたと言えるでしょう。

私たちは、この石丸という政治家をどう評価すべきでしょうか。このように新時代を開いた石丸は、その後もReHacQといったYouTube番組にて一定の人気を博したものの、2025年の東京都議選と参院選で全敗、2025年の年末時点ではほとんど存在感を失っています。なぜでしょうか。それは究極のところ、石丸氏に政策がなく、完全に空虚だからでしょう。

しかし、ある意味では、石丸はその空虚さによってこそ新時代を切り開くことができたともいえるのです。それ自身としては空虚であるがゆえに、現状に対するあらゆる不満を石丸は結集することができました。そのメッセージはとにかく現状否定と変革への呼びかけであり、「政治屋一掃」「東京を動かそう」なのです。

石丸はその空虚により、現状への純粋否定の象徴となり、それによって現状へのあらゆる不満を引き受け、その熱量でもってネット時代の新時代を開き、局面を変えることができたのです。

しかし、またその空虚さゆえに、その政治的な影響力は長続きしえません。新時代が自らの道を歩み出すと、石丸は主役を別の人々に譲り渡さざるを得ない。石丸は、懐かしい言葉を使えば、「消滅する媒介者」の典型的な事例だと位置付けることができるでしょう。それは古いシステムから新しいシステムへの移行を媒介しますが、そのどちらにも居場所を持ち得ません。そして、そうであるからこそ移行のための触媒となれるのです。

中間考察—高市早苗の異質性と積極財政という視点

この記事の主役は2024年の選挙で吹いた「風」です。その風に乗った人々として、最初の述べた通り、石丸伸二・高市早苗・玉木雄一郎・斎藤元彦を扱っていきます。

「石丸伸二・高市早苗・玉木雄一郎・斎藤元彦」。この四人を並べたときに際立つのは「高市早苗」の異質性です。

高市早苗氏は、自民党総裁選で「風」を吹かせ、下馬評を覆して党員党友票でトップとなった点、そしてネット上で人気があった点では、明らかに他の三人に列せられてしかるべきですが、それでもやはり異質です。

その違和感は、こう言い換えることができるでしょう。他の三人に並ぶのは「小泉進次郎(か小林鷹行)」であるべきだったのではないか。その方が自然である、と。

こう思えるのは、先に石丸伸二を論じたところで、2024年の「風」の特質を「若年層-ネット・SNS-無党派層・政治的無関心」を「改革中道」が掴んだ点にあるとしたからです。高市以外の三人は、イデオロギー的に極端ではないという意味で中道であり、改革派であり、見た感じのイメージも似ています。玉木雄一郎氏だけ50代ではあるものの、他の二人は40代、政治家としては若い男性で、見た目もさわやかである。

これに対して高市は、まず性別の問題は措くとしても、60代のベテランであるし、イデオロギー的には右派色が強いと見られています。それに対して、小泉進次郎氏は、比較的に中道的で改革派で年齢も40代、石丸や斎藤元彦氏と見た感じのイメージも非常に近いでしょう。一言でいえば、さわやかです。

というわけで、自民党総裁選を観察する上での問題は「なぜ小泉ではなく高市だったのか」ということになります。

もちろん、自民党総裁選がそもそも異質な選挙であるということもあるでしょう。それは一般有権者が投票する選挙ではなく、自民党員が投票する選挙なのだから、中道ではなく右派がウケるのも当たり前だという議論もありうるでしょう。

しかし、自民党総裁選が始まる前の下馬評では、小泉が優位であったことを忘れてはなりません。それも石丸現象を受けて、小泉のような若手への世代交代で刷新感を演出すべきだという論調が優位だったと思うのです。

この事前の評価を覆して、ネット上での人気で高市をトップに押し上げる風が吹いたこと、このことの意味を捉えるには、やはりイデオロギー面と並ぶ二大争点の一角を占めた経済政策への言及が避けられないように思われます。要するに高市は、この「風」から見るとイデオロギー的には不利なのですから、経済政策で優位とみなされたのでなければ、その番狂せは説明できないと思われるのです。

年齢や見た目のイメージ、イデオロギー的な中道性などで「風」の観点から優位な小泉に対して、なぜ高市が優位に立てたのでしょうか。それは経済政策において、小泉が父親譲りのいわば父子相伝の「構造改革路線」を提示したのに対して、高市が「アベノミクス」の継承、とくに「積極財政」を主張したからではないかと考えられるのです。

国政レベルの選挙において、ネットで「風」を吹かせられるのは、もはや21世紀になって最初に「風」を吹かせた小泉流の「構造改革」ではなく「積極財政」なのではないか。これは、その後の国民民主党と玉木雄一郎の躍進からも正当化されうる仮説でしょう。そしてまた、そのことには私が「21世紀の京都学派」と呼んでいる面々の、長きに渡るネットでの言論戦の影響を見ないわけにはいきません。

​自民党総裁選から衆議院議員総選挙へ

「中間考察」を挟んだことで、流れが中断してしまったので、もう一度、東京都知事選が終わったところから通史的に流れをたどり直しましょう。

都知事選から自民党総裁選への流れの概観

7月の東京都知事選での石丸躍進は、一方で、ネット戦略の威力を知らしめ、他方で若手への世代交代による「刷新感」の演出が重要であるとの論調を高めました。

他方の蓮舫惨敗は、4月の衆院三補選の連勝で勢いに乗っていた立憲の出鼻をくじくこととなり、立憲の左派リベラル路線から中道路線への転換が促される状況を作り出しました。

この状況の中で、まず行われた立憲民主党の代表選挙は、党内の中道派を代表する存在である野田佳彦が、小沢一郎と恩讐を超えて和解して出馬、選挙戦で終始主導権を握り、党の代表に就きました。

自民党総裁選では、一方では、石丸躍進から続く流れを受けて、「刷新感」の演出に最適な小泉進次郎が有力候補となり、他方では、立憲の中道シフトを受けて、中道リベラル路線の石破茂が有力候補となったのです。

実際の選挙では、先述している通り、党内の右派を代表し、最初は三番手だった高市早苗がネット上での「風」を背景に躍進、全国の党員投票でトップに踊り出たわけですが、最終的には党員投票が二位だった石破との決選投票に破れることとなりました。

この結果を全体として見るなら、いわゆる「裏金」問題の批判が強まり、また立憲が中道にシフトしている中で、自民党が高市を選んで右に舵を取り、また「裏金」を不問に付すように見られることは、総選挙を前にして得策ではないという判断が働いたということになるでしょう。石破なら、反安倍の来歴から安倍派の「裏金」とは距離を取るクリーンさと中道シフトを演出できるというわけです。

5-2、衆議院議員総選挙(1)―石破自民党のお粗末な自滅

ここで私は、総裁選での石破勝利について、「裏金」批判に対応し、立憲の中道シフトに対抗するために、反安倍の党内野党であり中道よりだった石破が選ばれたという、自民党の党としての「合理的判断」を推定しました。

しかし、その後の経過は、この推定を二重の意味で裏切るものでした。一つは、自民党と石破総裁がこのシナリオにそって合理的な行動をしなかったという点において、もう一つは、そもそも立憲などもはや問題ではなかったという点においてです。

すなわち、総理総裁になった石破は、前言撤回を繰り返し、政治家としての一貫性を疑われることになったのです。これまでの「しっかりと議論をしてから議会を解散」という前言を撤回して、即解散。ここでは、これまで解散を首相の専権事項とするいわゆる「7条解散」を批判していたこととの整合性も問われました。

また、ここは事実関係に不明な点もありますが、一時期はいわゆる「裏金」議員について公認の方向性で検討したものの、世論の風当たりが強いのを見ると、一定の基準での公認の取り消しや比例重複の禁止という方針を決定。にもかかわらず、選挙の四日前には、非公認議員が支部長を務めている支部にも、公認の議員の支部と同様の2000万円が振り込まれていることが報道されました。

ここで起きたことは、まず高市ではなく石破が勝利したことで、右派の支持者、いわゆる岩盤保守層が一定離反したことに加え、石破が総理総裁になった後では、一種の右シフトをしたことによって、野党からの批判をかわすとか、立憲の中道シフトに対抗するとかといった戦略も失敗したということです。

要するに、右からは「反安倍の石破は左派リベラルだ!」と批判され、左からは「石破でも自民党は変われない」と批判され、おそらく一般の世論の感覚では「言っていることがコロコロ変わる石破は信頼できない」と思われることになったのです。つまり、石破自民はあらゆる点でダメダメでした。

衆議院議員総選挙(2)―立民or国民、緊縮or積極、それが問題だ

この石破自民の自滅を受け、野党は必然的に躍進することになります。

議席数の増加が一番大きかったのは、50議席ほどの増加を達成した立憲民主党です。しかし、各所の分析で指摘されている通り、立憲は比例での得票数が前回選挙と比べて全く伸びていません。

立憲の勝利は、二大政党制を志向する制度として、野党第一党に有利に働く小選挙区制のおかげでしかないのです。すなわち、自民候補を負けさせたいと思った人々が、小選挙区では野党第一党の立憲に「戦略的投票」を行って票を集めた結果に過ぎず、党として支持を伸ばしたわけでは全くないのです。

先に述べた通り、立憲などもはや問題でなかったのです。「政権交代」への期待は、石丸の登場以降のネット選挙の新時代の開始によってふき始めた「風」のゆえの、全く別の物語に取って代わられていたからです。

この「風」にのったのが、比例区での得票数増が全政党で最大で、議席の増「率」も四倍で最大だった、玉木雄一郎の国民民主党です。

ここまで2024年の選挙で吹いた「風」の特質を、これまでの選挙の主役であった「高齢者-マスメディア-既成政党」の反対のもの、つまり「若年層-ネット・SNS-無党派層・政治的無関心」を「改革中道」が掴んだことだと規定してきました。

国民民主党の躍進は、このことの典型例です。選挙開始の前後で玉木がYoutube上で一つの主要メディアの一つとなっているReHacQにて石丸伸二と対談したことは、この流れの創始者である石丸から、その運動を引き継ぐという結果を生むことになりました。

ただ、石丸と玉木の違いは、石丸がイデオロギー的に無色という意味で結果的に「中道」であり、「改革」といっても具体的な中身があまり見えてこず、「改革イメージ」に終始していたように思われるのに対して、玉木は、現実的な安全保障政策やエネルギー政策など、明確に真ん中を志向することによって「中道」であり、看板政策となった「103万円の壁の178万円への引き上げ」など、現役世代重視の経済政策・租税政策・社会保障政策といった具体的な「改革」案を持っていた点にあります。

石丸は、「空虚」であるがゆえにこそ、「消滅する媒介者」として最初の大きな「風」を起こしえたが、玉木は「風」を引き継いで、その「空虚」を「政策」で埋めた、そんな風にいうことができるかもしれません。

この「政策」の核がなんであったのか、もちろん、いろいろあるのでしょうが、私としては「それは積極財政だ!」と断言したいと思っています。

先の中間考察において、「石丸伸二・玉木雄一郎・斎藤元彦」と並んで自然なのは、明らかに高市早苗ではなく小泉進次郎なので、ここに小泉ではなく高市が来たことの意味を考えなければならないと論じました。

その意味とは、私の理解では、この「風」の特質たる「中道改革」というときの「改革」は、もはや小泉流の「構造改革」であるよりもむしろ、高市流の「アベノミクスの継承発展」、つまり、アベノミクスの未完部分である「積極財政」であるということにありました。

この理解の正当性は、総選挙の結果でも裏付けることができます。現代日本における積極財政論の総本山は京都にあります。財務省はそれをなんともオシャレなことに「京都学派」と呼んでいるのですが、その「京都学派」の頭領である藤井聡は、今回の総選挙について以下のように分析しています。

すなわち、総選挙の勝利者は、与党でもなければ、野党第一党の立憲民主党でもなく、「改革中道」として2024年の「風」を掴んだ国民民主党であり、その「改革」の中核には、勝利した諸政党の共通点である「積極財政」があったと思われるのです。

兵庫県知事選―ネットが「オールドメディア」に勝った日

斎藤元彦も改革中道だが、地方政治のため「構造改革」寄り

ついにこの記事で扱う最後の選挙、兵庫県知事選です。これはネット選挙新時代の元年の最後を飾るに相応しい選挙でした。それはネットがマスメディア、この選挙を通じて「オールドメディア」と呼ばれるようになったものに勝利した選挙だったからです。

まず、これまでの私の「風」の規定との関連を探りましょう。兵庫県知事選の斎藤元彦は、あからさまに改革中道的な政治家です。といっても、「積極財政」というわけではなく、むしろ「構造改革」的なのですが、これは地方政治である以上、仕方ないでしょう。

私の考えでは「構造改革」は「失われた10年」を終わらせるために現れた間違った処方箋であり、「構造改革」と一体のものとして遂行された「緊縮財政」こそが、「失われた10年」を「失われた30年」にしてしまった根本原因に他なりません。こちらの記事で詳しく論じた通り、私は「構造改革」自体は否定しませんが、それは「積極財政」が前提です。

しかし、地方自治体の場合には、国家にはある通貨発行権が欠けているため、(国がよほど「積極財政」に思考を転換しない限り)本質的に「積極財政」は困難であって、そこでの「改革」は「構造改革」的にならざるを得ません。

ここでいう「構造改革」とは、民営化等を含む行財政改革によって行政の効率化と行政コストの圧縮を図り、そこで生み出された財源をより有益とされる事業に振り分けていくとか、規制緩和によって民間活力を引き出すといった政策のことです。

構造改革論者の用語法を使うなら、非効率を生み出す「既得権益」への「バラマキ」をやめて、小さく効率的な行政を志向しつつ、行政よりも民間の力に期待するのが「構造改革」です。民間の力に期待する際、重要なのは機会の平等です。だから「構造改革」は、機会の平等を保障すると考えられている教育無償化などとは相性がよいのです。

地方政治には以上の事情があるため、兵庫県知事選で「風」を吹かせた斎藤元彦が、この「構造改革」路線に見えるのも当然でしょう。私は斎藤にはあまり強いイデオロギーを感じません。斎藤は官僚出身の実務家で、イデオロギーが強くないという意味で「中道」であるように見えます。彼は「改革」を主張していますが、「改革」といえば地方政治では「構造改革」的でしかありえません。

以上から分かる通り、斎藤も2024年の風の特徴たる「改革中道」を典型的に体現しているのです。

ネット選挙新時代の元年、最後にして最高の「THE MATCH」

ただ、この選挙の場合、真の問題は「政策」などでは全然なかったのです。それは異例づくめの選挙でした。

今回の兵庫県知事選に至る特異な過程が、それまでの三つの選挙で始まり、継承され、発展してきたネット選挙の新時代の流れと、これまた極めて特異な形で合流したこと、それがこの兵庫県知事選を、「ネットがオールドメディアに勝利した」と評されるような、ネット選挙新時代の元年の最後を飾るに相応しい劇的なドラマへと仕立てあげることになったのです。

まず、この選挙に対する私の立場を明示しておきます。この選挙に関しては、相互にあまりに異なる見方が並立しており、どの立場をとっているかの明示なくしては、選挙の経過を語ることすらできないからです。それくらい立場によって見えてくる経過自体が異なるのです。

そもそも、どんな立場が存在するのでしょうか。

まず「反斎藤派」の立場があります。それを少々戯画的に表現すれば、「斎藤元彦はパワハラで部下を死に追いやっておきながら、それについて道義的責任を感じることもない極悪非道の権力者であり、さらにおねだりや公金の不正支出等、様々な疑惑に塗れた人物だ」ということになるでしょう。

他方に「斎藤擁護派」の立場がある。こちらも戯画的に表現すれば、「斎藤元彦は、60年政権交代のなかった兵庫の既得権益に切り込み、そこで生まれた財源を現役世代・若者世代の支援に切り替えようとした改革者だが、これに反発する既得権益層にハメられて、知事の職を追われた。だが、斎藤は自分の信じる政策を実現するため、一人ぼっちになっても諦めずに再起を目指す。斎藤は稀に見る信念の政治家だ」ということになります。

最後に「中間派」の立場がある。この立場は上の二つの立場のどちらが正しいかについては判断を停止し、「告発文書から始まる斎藤元彦の疑惑については、まだ何も結論が出ていない。不信任決議は拙速であり、斎藤知事のもとで百条委員会や第三者委員会の調査を完遂してから、その次の判断をするべきではないか」と考えます。この立場は、そもそも今回の選挙は行われるべきではなかったと考えるので、結果として、今回の選挙では原状回復の意味で斎藤元彦が当選するべきだとする傾向があります。

私は「斎藤擁護派」よりの「中間派」の立場を取ります。斎藤支持の最終論拠自体は「中間派」的な「まだ結論が出ていないから」というものなのですが、そのような立場を取る背景として「告発文書に始まる一連の騒動には不可解な点が多すぎる」という「斎藤擁護派」の情報や考察を多く取り入れています。

さて、この「斎藤擁護派」よりの「中間派」の立場から、選挙に至る過程を振り返ります。

発端は3月に当時の西播磨県民局長から斎藤県政の「7つの疑惑」をめぐる告発文書が複数の県議会議員やメディアに送付されたことです。斎藤知事側は、この文書の情報をキャッチすると、誹謗中傷性が高いとして調査を開始。そして上記の局長の公用PCより、告発文書ファイルを発見。この公用PCから発覚したいくつかの問題行為によって局長を処罰しました。

局長は、この処分を不服として4月に改めて県の公益通報窓口に同じ文書とを思われるものを通報したものの、3月の文書頒布その他の件での処分が5月に確定しました。この時点では告発文書は真面目に取り扱われていませんでしたが、その後、一定の事実が含まれていたとして、議会が百条委員会を設置して調査を開始します。

7月にその百条委員会で局長が証言をすることになっていたのですが、その直前に局長が「一死を持って抗議する」との言葉とともに自殺するという事態が発生。これが転機となって、斎藤知事がパワハラで部下を自死に追い込んだかのような報道がなされ、「7つの疑惑」のなかの「パワハラ・おねだり疑惑」などが連日ワイドショーで面白おかしく報じられ続ける事態となりました。

このころの世論は斎藤知事悪玉論一色に染まり、そのような空気の中で、百条委員会ではまだ何も結論が出ていないにも関わらず、「県政に混乱と停滞をもたらした」という一点をもって県議会で知事の不信任案が提出され、全会一致で可決されることになったわけです。

その後、斎藤知事は出直し選挙に臨むことになります。そして、選挙となるとマスメディアは、公平性・中立性の美名のもとに当たり障りのない報道に終始します。その情報空白のなかで、ネットでは斎藤悪玉論に対するカウンターとなる新情報や新考察が続出します。

具体的には、局長の公用PCに不倫日記があるとする片山前副知事の百条委員会秘密会での証言の音声や、その会の直後の囲み取材の音声が重要でした。前者では奥谷百条委員会委員長が、後者ではNHK・朝日新聞・読売新聞の記者たちが、どういうわけか必死で片山前副知事の証言を妨げ、無かったことにしようと努めていたのです。

また、パワハラ・おねだりについても、百条委員会で結論が出ていないこと、内部通報窓口の調査ではそれらが認定されなかったこと、また、一部については、明確に捏造だったこと等が周知されることになります。

さらに公益通報者保護法をめぐっても、主に第11条の通報者探索の禁止の規定が外部通報に適用されるかをめぐり、対応に法的な問題はなかったとする対抗的な考察が出てきていました。

こういった情報や考察の積み重ねに加えて、その上に、どれほど妥当なのかは不明ではあるものの、斎藤は若者のためを思う改革者なのに、既得権益によって潰されようとしているという「大きな物語」が構築されることによって、斎藤悪玉論の極端に触れていた世論が、斎藤善玉論の極端へと一気に揺り戻されます。

この揺り戻しが間一髪で間に合い、斎藤は初めは大きくリードしていた対抗候補を差し切ることができたのです。

マスメディアが徹底的に悪人に仕立て上げた斎藤が、ネットでの情報拡散の力によって、一気に善玉へと祭り上げられていき、選挙でありそうもなかった奇跡的な勝利を勝ち取る。

石丸・高市・玉木らは確かにネットで勢いを得たものの、選挙中、別段マスメディアで叩かれていたわけではなく、むしろ、そのネットでの人気がマスメディアへと波及していくような相乗効果を生み出していました。そこではネットとマスメディアはある意味で歩調を合わせていたのです。

それに対して、事態の特異な経過によって、兵庫県知事選は、マスメディアが語ることと、ネットで語られることが真っ向対立するという事態が生じたのです。

そして、そのことによって、ネット選挙新時代の元年は、ネットが影響力を拡大するというのみならず、ネットがマスメディアを上回る、ネットがマスメディアに勝利するという劇的な幕切れを、最後に見ることになったです。

まさに事実は小説よりも奇なり。この最高の結末をもって、ここで2024年の日本政治を「ネット選挙の新時代」として振り返るこの記事を終えることとしたいと思います。

まとめ:ネオ55年体制・政権交代・多党化

2024年は、安倍一強のいわゆる「負の遺産」の露呈と安倍派の崩壊により、安倍一強からの流れで形成されたネオ55年体制が、再び政権交代可能な二大政党制へ変わっていくのかという微かな期待から始まりました。

しかし、東京都知事選からは全く新しい物語が始まったのです。すなわち、それは失われた30年の停滞を経たのちに、降ってわいたような物価高でお尻に火がついた現役世代の政治的覚醒です。

ネットがその火付け役となり、中道改革的な現役世代が政治に影響を及ぼすようになったのです。そこにおける最重要な政策キーワードは「積極財政」に他なりません。

この流れは二大政党制を担うと思われた、自民党と立憲民主党の両方の弱体化を招き、国民民主党、2025年には参政党という新興勢力の台頭を招きました。2024年に始まったネット選挙の新時代は、ネオ55年体制でも、政権交代可能な二大政党制でもない、多党制へと日本政治を向かわせることになったのです。

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