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なぜ「リベラル」は息苦しくなったのか
近年、「ポリティカル・コレクトネス(PC)」や「キャンセル・カルチャー」といった言葉をよく耳にします。差別的な表現を正そうとしたり、問題発言をした著名人を社会的に抹殺しようとしたりする動きです。
なぜ、これらの運動はこれほど過激化し、多くの人(特に庶民)に「息苦しい」と感じさせるのでしょうか。
その答えは、左翼政治が時代の変化に対応できず、「暴走」を始めた歴史的経緯にあります。
「経済」から「属性」への転換
時計の針を高度経済成長期に戻しましょう。当時、先進国では「一億総中流」と呼ばれる豊かな社会が実現し、かつてのような「搾取される可哀想な労働者」はほとんどいなくなりました。
そこで左翼は戦略を変えました。豊かになったマジョリティ(男性・健常者)ではなく、そこから排除された女性、外国人、LGBTQといった「属性(アイデンティティ)」の権利を守ることに舵を切ったのです。
これを「アイデンティティ・ポリティクス」と呼びます。当時の状況において、これは正しく必要な戦略でした。
グローバル化が「強者」を消滅させた
しかし、1990年代以降のグローバル化が前提を崩しました。製造業の空洞化や非正規雇用の拡大により、かつて「強者」だったマジョリティ男性の中からも、経済的に困窮する人々が大量に生まれました。
現実は「強者」などいなくなったのに、左派は「お前たちはマジョリティ(強者)だ」という古い認識のまま、アイデンティティ・ポリティクスを続けました。
「弱者」を盾にしたエリートの権力
さらに、そのような状況にもかかわらず、左翼政治は、その活動領域を「言葉遣い(PC)」や「道徳(キャンセル・カルチャー)」へと過剰に広げていきました。
これは一種の「際限のない先鋭化」です。正しさを競い合う中で、より過激な意見がよしとされ、些細な言動をあげつらって他者を攻撃するようになりました。
今やPCやキャンセル・カルチャーは、高学歴なエリート層が「弱者の味方」という道徳的優位に立ち、生活に疲弊した庶民の「正しくない言動」を叩くための「マウンティングの道具」になってしまっています。
さらに皮肉なことに、多様性を称揚するこの運動は、安価な労働力を求めるグローバル企業にとって、移民や工場移転を正当化する便利なイデオロギーとしても機能してしまいました。
左派政治がこの「暴走」を止め、経済的な弱者を含むすべての庶民の生活に向き合わない限り、分断は深まるばかりでしょう。
この記事はAIを活用して以下の記事を要約したものです。より詳しく知りたい方は以下の記事をご覧ください。



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