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「責任ある積極財政」の正体とは
最近よく耳にする「責任ある積極財政」という言葉。高市早苗氏や玉木雄一郎氏などが掲げるこのスローガンは、一見すると頼もしく聞こえます。しかし、そこには大きな落とし穴もあります。
現在の日本の財政論議は、大きく3つの立場に整理するとクリアに見えてきます。それは国家財政を何に例えているかという違いです。
- 緊縮財政派(家計のアナロジー): 「借金は悪だ」と考え、とにかく支出を削って財政の黒字化を目指す人々。財務省や主流派経済学者がこれにあたります。
- 責任ある積極財政派(企業のアナロジー): 「借金は悪ではない」と考えます。企業が借金をして工場を建てるように、国も借金をして「成長分野」に投資し、将来の税収(売上)を増やせばいいと考えます。それで売上や利益と比べて借金が増え続けていかなければ問題ありません(債務残高対GDP比の重視)。アベノミクス以来のリフレ派の今の立場や、現在の高市・玉木ラインはここです。
- ゴリゴリの積極財政派(国家独自の視点): 国は家計でも企業でもなく、「通貨発行者」であると考えます。財源は税収ではなく「余剰の供給能力」であり、目的は財政の黒字化でも経済成長でもなくまずは「国民生活の救済」です。経済成長はそこからついてきます。MMTの影響を受けた機能的財政論の立場です。
国を「企業」として運営する冷酷さ
「責任ある」派の問題点は、国家を「企業」のように運営しようとすることです。
企業経営において「責任ある態度」とは、採算の取れない事業をリストラし、儲かる分野に投資することです。
しかし、国家がこれをやるとどうなるか? 「儲からない地方」や「生産性の低い弱者」は、不採算部門として切り捨てられることになります。
彼らが好む「ワイズ・スペンディング(賢い支出)」とは、裏を返せば「賢くない(儲からない)国民には金を使わない」という選別思想につながりかねません。
砂漠にレストランを建てるな
また、彼らは企業のように「供給能力(設備投資)」を重視しますが、経済学的な順序を間違えています。
どんなに立派な工場やレストラン(供給)を作っても、それを買う国民の懐(需要)が寒ければ、ビジネスは成り立ちません。
今の日本に必要なのは、まず国民にお金を懐を温め、客を呼ぶこと(需要創出)です。客のいない砂漠に立派な店を建てても意味がないのです。
真の責任とは何か
通貨発行権を持つ国家にとって、真の「責任」とは、「責任ある」派が重視する債務残高対GDP比といった財政の数字の帳尻を合わせることではありません。
長く続いた不況や貧困に苦しむ国民を一人残らず救い上げ、経済を底から温めることこそが、国家として最も「責任ある」態度なのです。企業経営のような「賢さ」に惑わされず、私たちは国家本来の役割を問い直す必要があります。
この記事はAIを活用して以下の記事を要約したものです。より詳しく知りたい方は以下の記事をご覧ください。



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