令和日本の鎖国論—グローバリゼーションでも「保護主義→戦争」でもなく

令和日本の鎖国論—グローバリゼーションでも「保護主義→戦争」でもなく

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目次

本記事の問題意識とアウトライン

近年、世界的に先進国で反グローバリズムの潮流が強まっています。そのなかで自由貿易(グローバリゼーション)の継続か、それに反対する関税等による保護主義(自国第一主義)かという二項対立が話題となります。

この二項対立では、「保護主義がブロック経済を生み出し、ついには第二次世界大戦に繋がった」という脅し文句がしばしばついて回ります。

しかし、本当に世界には「自由貿易」と「保護主義→戦争」という二つの選択肢しかないのでしょうか。いえ、第三の道があるのです。というか、日本にかつて存在したのです。それがすなわち「鎖国」です。

ここで私は「鎖国」という語を平和的でありうる保護主義的政策の理想形を表現する語として用いたいと思います。それは国境の壁を重視して、さまざまな手段でグローバリゼーションを制約する保護主義政策ですが、かといって戦争には繋がらない道です。「鎖国」政策中、日本はおおむね平和だったのです。

もう少し具体的にいうなら、こう言うこともできるでしょう。21世紀において目指されるべき鎖国は、外国との関係の途絶ではなく、外国への非依存性である、と。コロナ禍で多用された言葉を用いれば、エッセンシャルでないものはいくらでも輸出入していいのですが、いざというときに死活的に重要なエッセンシャルなものは自国での生産と自国への供給を重視するべきなのです。ここに、戦争に限らず、一般に有事を想定しない「市場原理」の出る幕はありません。

これらのことを論じるにあたって、戦前の保護主義がいかに戦争を帰結したのか、そのような保護主義から戦争へのリンクを取り除くことがいかにして可能かを考えなければなりません。そのうえで可能なる鎖国の方向性を提示しなければならないのです。

以下では、まず第2節で、保護主義の世界的な台頭の背景を復習します。続いて第3節で、戦前に保護主義が戦争に繋がった理由を復習します。そのうえで第4節で、現代において可能なる鎖国の方向性を考察しましょう。最後の第5節でそれまでの考察をまとめて結論を得ることとします。

現代におけるグローバリゼーションへの反動の背景

近年、世界的に先進国において反グローバリゼーションの潮流が日の目をみるようになっています。このことの背景はどのようなものでしょうか。

よく言われることかもしれませんが、グローバリゼーションによって製造業の工場が低賃金な海外に移転することで、工場労働者という戦後の先進国の中間層を形成した層がある程度まで没落を余儀なくされました。

それに加えて、先進国が移民・難民という形で外国人に門戸を開いた結果、国内に残った製造業やサービス業でも人々は低賃金競争を強いられます。そうしたなかで先進国の(没落したorしつつある)中間層がグローバリゼーションにNOを突きつけ始めているというわけです。

その先頭を走っているのがアメリカの共和党トランプ政権です。

もともとは労働者の党だったアメリカ民主党は、冷戦終結以後、グローバリゼーションの勝ち組たる金融業やIT産業との結びつきを強め、グローバリゼーションを推進するグローバルエリートの党と化してしまった(と思われています)。

このようななかで共和党は、保守的な価値観という側面から労働者層・中間層にアピールしはじめ、ついにトランプがアメリカ製造業の復活を目指す保護主義政策を掲げることで、労働者層の取り込みに成功します。

トランプの再選は、トランプ現象が一時的な逸脱ではなく、ある不可逆の本質的な潮流を表現するものであることを確証するものです。それはグローバリゼーションが曲がり角に来ている証左なのです。

そういうわけでトランプ政権は、開始早々、保護主義政策の典型である関税という武器を振り回し、不法移民の排除も矢継ぎ早に推し進めています。

トランプ政権自体は、労働者層およびそれと結びついていると思われる保護主義的なMAGA(=アメリカを再び偉大に)派と、イーロン・マスクをはじめとするリバタリアン的な(民主党と毛色は違うもののやはりグローバル志向の強い)グローバル経済エリートやビリオネアたちの矛盾をはらむ連合であるように思われ、先行きは不透明です。

そうではあるにせよ、その成立の背景には以上のような事情があると整理することができるでしょう。

なぜ保護主義は第二次世界大戦につながったのか

さて、このような現代における反グローバリゼーションの流れ、保護主義的な流れに対して、しばしば鳴らされる警鐘が「戦前は保護主義がブロック経済を生み出し、それが第二次世界大戦の原因となった」という議論です。これはどういう意味なのでしょうか。

これはしばしば帝国主義という19世紀後半からの潮流で理解されます。帝国主義の時代とは、第二次産業革命によって重工業が発達して生産力が拡大するなかで、各国がより多くの資源と市場を求めて勢力圏を拡大していった時代です。

資源がなければ生産ができないから生活が豊かにならないし、市場がなければ物が売れずに失業が発生して食い詰める人々が出てきます。この問題を解決することが各国の関心だったわけです。

第二次世界大戦への道を開いたのは1929年からの大恐慌です。それは現代風にいえばデフレ不況であり、人々が失業して物が買えないから、物が売れずにさらに失業が増えて…という、物あまり・人あまりで物価と賃金が下がり続ける事態でした。

そのようなときに各国は、いまや貴重になった「売り先=市場」を他国に渡すまいと、自国および自国の勢力圏から他国の商品を関税などによって締め出しました。ブロック経済を作ったのです。

このとき自国に大きな市場があったり、大きな勢力圏を持っていたりする英米仏の先進諸国はブロック経済によって一定の市場を確保したのに対して、そのような条件を持たず、しかしそれまでは自由貿易の利益を享受してきた後発国の日独伊は、この締め出しに対応して自らもブロックを形成するべく領土拡張政策を推し進めるようになります。この拡張政策の行き着く先が第二次世界大戦だったということになるわけです。

帝国主義という基本的な文脈において、しかし、各国が一定のグローバリゼーションと自由貿易を通じて市場と資源を外国に依存していたが故に、外国領土を確保することが必要となり、それが戦争に繋がったのです。確かに日本が最終的にアメリカと戦争をするに至る流れでも、資源の確保という動機と資源(石油)の禁輸という事態が決定的でした。

21世紀的な「鎖国」の可能性について考える

ここまでの議論について、以下のような歴史的な整理ができるでしょう。

第一に保護主義から戦争への道がありました。各国が市場や資源を外国に依存している事態があり、その状況で特定の国が広い地域を囲い込むこと(=ブロック化)が、締め出された国の対外膨張政策を呼び込んだのです。これが保護主義から戦争への道です。

第二に戦後の自由貿易体制がありました。戦後の反省は、各国が市場や資源を外国に依存している事態を終わりにしようとしたわけではありません。ただ、囲い込みと締め出しをできる限り禁じようとしたのです。これが戦後の自由貿易体制であり、その延長線上に現在のグローバリゼーションが存在します。

こう整理すると、第三の道として「鎖国」とでも呼ぶべき道があることが分かります。それは各国が市場や資源について可能な限り外国に依存していない体制です。

もちろん、真の「鎖国」であれば、外国と無関係である必要がありますが、ここで21世紀の、令和の「鎖国」論を考えるうえでは、無関係性まで要求する必要はないというか、するべきではないでしょう。

あくまで重要なのは非依存であって、戦争を引き起こしかねないほどの利害関係、つまりは国家の存立に関わるほどの利害関係を外国に対して持たないことなのです。

近年では、コロナ禍におけるグローバルなサプライチェーンの混乱や米中新冷戦のリスク等を踏まえて、経済安全保障の名の下に、潜在的に敵対的な外国への依存度を減らすことが世界的な政策潮流となっています。

しかるに、本稿で外国への非依存というときに重要なのは、先に述べたところからも明らかな通り、資源と市場であって、現在、経済安全保障ということで考えられているよりも少し射程が広いものとなっています。というのも、経済安全保障で主に考えられているのはサプライチェーン、すなわち生産(供給)体制であり、それは資源を含むにしても、市場(需要)までは考慮に入れていないからです。

市場の外国への非依存性について

ここで市場の非依存性について考えていきましょう。

市場の非依存性ということでいえば、戦前の先進諸国、いわゆる列強の外国(植民地)への市場面での依存度が高かったのは、まだ先進国でも農村の余剰人口が解消されず、労働者の供給が多かったため、労働者の賃金が低く抑えられ、市場を支える分厚い中間層が形成されていなかったことによると考えられます。

戦後は、農村の過剰人口が解消されるとともに、製造業における生産性の向上が労働者の賃金上昇につながり、分厚い中間層の旺盛な消費が産業のさらなる成長の基盤となるという好循環が生じました。戦前と比較すれば、先進国は市場を外国ではなく国内に求めるようになったのです。

ここから二点のことが考えられます。

一点目、戦前の先進国の社会構造が現代の中国と不気味なほど似ていることです。中国は大きな経済的飛躍を成し遂げたものの、農村の余剰人口はいまだ大きく、労働者の賃金は相対的に低く、中間層は人口に対して十分大きくありません。

これが中国が圧倒的な輸出大国であり続けられている理由であると同時に、そうあり続けなければならない理由でもあります。労働者の賃金が相対的に低いから輸出で有利であると同時に、労働者の購買力がないから外国に輸出しなければならないのです。

これが結局、中国が現代においてもっとも対外膨張の意味で帝国主義的な国家の一つであることの理由なのかもしれません。中国は外国に市場を持たなければならないから、拡張主義的なのかもしれないのです。

二点目、グローバリゼーションは、この先進国の発展の過程を逆戻りするという意義を有するということです。すなわち、それは企業が農村の余剰人口を発展途上国において再発見することに他ならないのです。製造業は発展途上国に工場を移転し、先進国の中間層の購買力が細ります。するとますます企業は外国での販売を志向するようになり、海外移転への動機が強まっていくのです。これが悪循環を形成します。グローバリゼーションは、この点で外国への市場依存を自己強化的に進めていく過程なのです。

この二点は現代世界の危険な傾向を示しています。再び市場の側面での外国依存が進行しているのです。繰り返しになりますが、市場の面において内需ではなく外国依存になっていればこそ、保護貿易主義やブロック化がそのような依存の強い国の存立を脅かし、危険な対外膨張を招いたのです。

自由貿易・グローバリゼーション的な体制が、各国の市場の面での外国依存を自己強化的に促進させ、そこで生じる自国民の没落が反動としての保護主義的な衝動を生み出します。そのとき保護主義は、その国の市場に依存していた他国にとって存立に関わる危機として現れ、その他国は対外膨張政策への動因を抱え込むことになります。現在の米中の関係はこのように見ることもできるでしょう。

すなわち、「自由貿易」による(先進国の)国内産業の空洞化と(途上国の)外需依存が「保護主義→戦争」の論理を駆動するのです。この「自由貿易」と「保護主義→戦争」という相補的な二項対立を支える前提の外に出ることが必要なのは明らかだと思います。それが外国への依存を排するという意味での「鎖国」に他なりません。

資源の外国への非依存性について

続いて、資源の非依存性について考えましょう。

先にも確認したように、近年、サプライチェーンを国内で確保することで供給の側面で外国への依存を排そうとする経済安全保障の議論が盛んです。これは生産拠点の国内回帰を意味し、国内の購買力を高めるという意味でも有益です。

ここで2点のことを指摘したい。供給面・生産面で他国への依存を減らすことは重要ですが、いまの日本では熊本のTSMCや千歳のラピダスといった(先端)半導体に関心が過度に集中しています。

もちろん、そういったものも重要だが、より重要なのはエネルギー(資源)や食料でしょう。こちらの方がより重要であるというのは二つの観点から言えます。一つは、そのものの必要不可欠性という点に関して、半導体よりも食料やエネルギーの方が必要不可欠であることは明らかです。

もう一つはリスクという観点です。TSMCはよいとしても、ラピダスの先端半導体は技術的チャレンジを含み成功するか不確実であるという意味でリスキーです。それよりは必要不可欠かつ技術面での確実性が高いものに先に取り組むのが筋でしょう。食料やエネルギーなどはそういったものであるように思われます。

まとめと結論—令和日本の鎖国論に向けて

さて、以上の考察をまとめれば、以下のようになるでしょう。

冷戦終結後に進んだグローバリゼーションは、コロナ禍におけるサプライチェーンの機能不全、ロシアのウクライナ侵攻に見て取れる新冷戦の構図の浮上、そして、先進国における社会的不均衡の増大等によって、急速に巻き戻されつつあります

このことは、一方では必須の資源や物資の供給を自国で確保する経済安全保障として、他方では自国の市場の需要を自国に囲い込む保護主義として、進展しつつあります。

問題は、保護主義が戦争に繋がったという第二次世界大戦の二の轍を踏まないようにすることです。

ここで考えてみれば、保護主義が戦争に繋がったのは、そもそもが資源や市場を外国に依存していたからです。この依存があればこそ、その外国へのアクセスが保護主義などで遮断された際に、別の外国へのアクセスを得るべく拡張政策をとる必要があったのです。

とすれば、この世界情勢において目指すべきは、そもそも外国に資源も市場も極力依存しないという意味での「鎖国」であり、その「鎖国」モデルを世界に広げることです。というのは、自国が鎖国していても、他国が外国に依存していたら、その他国が自国の鎖国への反応として拡張主義に走る恐れがあるからです。

さて、日本に引きつけて言えば、まず資源の面では、経済安全保障の延長線上で、主に食料とエネルギーの自給率を高めることが試みられるべきです。エネルギーに関しては、自給的な再生可能エネルギーの開発もさることながら、それが達成されるまでは、比較的、外国への依存度が弱い原子力の活用を進めるべきです。また、EVは、電力を先述のエネルギーで発電するという前提のもとでは、石油を必要としない輸送手段となりうるため、エネルギー自給の観点から推進されるべきであると思います。

他方で市場の面で必要なのは、それこそ日米貿易摩擦の頃の懐かしい文言を使えば、「内需拡大」です。輸出に依存するから、保護主義で輸出の道を絶たれた時に窮地に陥るのです。そもそも、輸出に市場を依存せず、内需を賄うための生産に重点を置くべきなのです。この内需拡大のために必要なのは、政府支出による支えであり、またそれを通じて、グローバリゼーションに伴う格差の拡大、具体的には中間層の痩せ細りを逆回転させることです。

これらは、いずれにしても、これまでの緊縮財政論では手に負えない。本サイトのいつもの主張である「積極財政への転換」が切に望まれる所以です。

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