「MMTと政府債務残高GDP比と富裕層課税」について考える

「MMTと政府債務残高GDP比と富裕層課税」について考える

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今回の記事では、「MMTと政府債務残高GDP比と富裕層課税」について考えてみます。三題噺ではないですが、この三つの言葉をめぐって思考を展開してみたいと思うのです。これははっきりとした主張は押し出さない考察メモのような記事となります。考え中なのです。

目次

今回の記事の背景となる二つの記事の紹介

背景となる本サイト内の記事が二つあります。

日本の真の財政危機の指標としてのマーシャルのK

一つは日本に財政危機があるとすれば、それはマーシャルのKの高さによるものだと論じた以下の記事です。

マーシャルのKとは、名目GDPの何倍のマネーストックが存在するかを示す指標で、日本は香港についで世界二位、主要国では圧倒的です。これは流石にやや不安になります。というのも、これは一年に実際に生み出され購入される財やサービスに対して、お金の量が圧倒的に高いこと、お金が溜まりまくっていることを意味しているからです。

なぜ不安になるかといえば、結局お金とは財やサービスを買えることにしか価値がありませんから、これは日本円の価値の裏付けが弱いことを意味しているとも取れるからです。昨今の根強い円安の背景にはこのこともあるかもしれませんし、またお金が各国並みに動くようになれば、日本はそれだけでそれなりの高インフレに見舞われる可能性があると言えるでしょう。

マーシャルのKはお金の流通速度の逆数ですから、前者の高さは後者の低さを表します。日本のマーシャルのKの高さは、日本におけるお金の流通速度の低さを表しており、これは明らかにデフレの帰結です。みんながお金をせっせと溜め込み使わないので、お金の流通速度が低く、お金が溜まってマーシャルのKが高いのです。

これが財やサービスとお金の量の不均衡を生み出し、高インフレのタネとなるとすれば、ある国はデフレでは滅びず、デフレでも結局最後はインフレで滅びると言えるかもしれません。滅びるは誇張表現ですが。

MMT的思考は富裕層課税を不要なものとみなすのか?

もう一つは私がステルスMMT本と位置付けているポール・シェアードの『パワー・オブ・マネー』を紹介した記事です。

私がこちらの記事で紹介したのは、「MMT的な思考を徹底すれば富裕層課税は必要なく、富裕層は放っておけばいいという結論になるのではないか」という本書の思考です。

MMT的には税は財源ではなく、税の機能(の一つ)は、税によって民間の購買力を奪って財政支出に対応するための実物リソースを解放することです。

ところで、富裕層はお金をたくさん持っていますが、持ちすぎていて使いきれませんし、そんなにたくさん使ったらそもそもお金持ちではなくなってしまいます。そういうわけで、お金持ちのお金はそもそもさほど使われないので、それを税で奪ったところで実物リソースを解放する意義はほとんどありません。ならば、富裕層に特別に課税する意味はないのではないかとシェアードはいうのです。

MMTと政府債務残高GDP比と富裕層課税

さて、問題は本当にそうなのか?ということです。ここで第一の記事を補助線として使いたいのです。

第一の記事で問題にしたのはマーシャルのKでしたが、日本のマーシャルのKの高さと対応するのが政府債務残高GDP比の高さでしょう。現代の「債務貨幣システム」においてはお金があるためには借金がなければいけません。お金は借金を通じて生まれます。

ということは、マーシャルのKが示すお金の量の多さには、借金の多さが対応しなければならず、それがまさに政府債務残高GDP比によって示されているのです。失われた30年の間、企業や家計はお金を溜め込むのに必死で、借金など論外でした。それで「国の借金」が積み上がってきたのです。

失われた30年の日本の経済の動きは以下のように描写できるでしょう。先行き不安やデフレから人々はお金を使わず、借金などはなおさらせず、とにかくお金を溜め込む。そうすると経済が回らないので政府が財政赤字を出す。そうやって出回ったお金を人々はまた溜め込む。そうすると経済が回らないので政府が財政赤字を…。

この帰結が、一方で他の国と比較してのお金の異様な滞留を示すマーシャルのKの大きさであり、他方で他の国と比較して異様に積み上がった政府債務を示す政府債務残高GDP比の高さです。そして、このマーシャルのKの大きさはやはりインフレ不安を感じさせるものです。

さて、だいたい論旨は見えてきたかもしれません。要するに、ポール・シェアード的な富裕層課税の否定は、同じような構図を生み出さないかと言いたいのです。

普通の人々の生活を支えるために政府が財政赤字を出す。それが現在の格差社会の論理によってすぐに富裕層の手元に渡る。そのお金を富裕層が溜め込んで普通の人々の方には回らないので、彼らの生活を支えるために政府が財政赤字を出す…。こうして、一方に政府債務残高、他方に富裕層資産が積み上がるというわけです。これは少し不安ではないでしょうか。

もちろん、不安は杞憂に過ぎない可能性もあります。お金持ちはさほどお金を使わないので、そこにどれだけお金が溜まっても、そのお金は動き出さず、インフレは起きないという可能性です。あるいは、お金が動くにしても、それはいわゆる投資としてであって、お金が金融市場で行ったり来たりを繰り返しながら株やゴールドやビットコインが値上がりしていくだけなのかもしれません。それで富裕層の資産がどんどん膨らんでも、最終的にそれが私たちも必要とする財やサービスの過剰購入に回されないなら、普通の一般庶民には関係ないということもありうるでしょう。

あちらの記事でも指摘しましたが、富裕層が投資目的で買いかつ普通の一般庶民も必要としているもののほぼ唯一の事例が不動産です。富裕層が投資目的で購入してどんどん値段が吊り上がり、その結果として一般庶民は家を買えない。だから先進各国でいま不動産価格の問題が社会的な争点となっているわけです。

とすれば、不動産など特定の財やサービスにターゲットを絞って政府が各種の規制やコントロールを考えればよく、以上の構図全体は問題にしなくてもよいのかもしれません。ただ、私としては、やはりこういう構図はあまり健全ではないので、政府が財政赤字でお金を市場に投入するだけではなく、市場からお金を適切に抜き取るということも考えた方がいいと思うのです。そして、結局抜き取るには溜まっているところから抜き取る以外に方法はありません。

そういう意味では富裕層課税による富裕層からのお金の抜き取り、あるいは富裕層にお金が過度に滞留しないような各種の工夫が求められるでしょう。それは例えばチャリティの推奨でもいいですし、インフレとの関連はみなければいけませんが、支出一般の奨励でもいいでしょう。ただ、こちらにしても富裕層の税金を高くしておくことでこそ、どうせ取られるなら自分で使おうと支出を奨励することもできるわけです。

最後に日本の問題に戻ってみましょう。MMT派なら政府債務残高GDP比なんて関係ないというのがおそらく標準であるところ、私はマーシャルのKに注目して、やっぱりお金の異様な滞留は不安ではあり、それは引き下げられるべきではないかと主張しています。それは政府債務残高GDP比の引き下げにもつながるでしょう。もちろん、こう主張するのは「国の借金」が問題だからではなく、お金が多すぎることが不安だからです。

もちろん、こういったからといって緊縮財政を主張しているわけではありません。それはこれまでに作られてしまった問題の構図をさらに引き続かせるだけであり、最終的に異常に高いマーシャルのKが日本円の信用不安を引き起こして、一気に高インフレによってマーシャルのKが調整されるということにもなりかねません。上で述べたデフレで国は滅びず、最後にはインフレになるというパターンです。

問題は、思い切って財政赤字を出す積極財政なのか、それともその積極的な支出の財源として富裕層増税で手当することで財政赤字を出さないか(積極財政というより大きな政府)という選択ですが、結局、政治的な難しさを考えるとまずは前者という結論に落ち着きます。それで金の周りをよくして名目GDPを引き上げることでマーシャルのKをゆるやかに引き下げていき、各種の社会状況が改善していく中で必要であれば富裕層増税を考えるというあたりが落とし所となるように思います。そこでは死ぬ時を貨幣の回収ポイントとする相続税の活用を考えるべきかもしれません。

このように言うことで、私は単純な積極財政派というよりは、大きな政府を見据えた積極財政派になったと言えるかもしれません。

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