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「21世紀の政治経済学」では、小野善康の小野理論を「消費不足の経済学」として採用し、またリチャード・クーのマクロ経済学を「投資不足の経済学」として取り入れ、両者を組み合わせることで「デフレ・レジーム論」という「需要不足の経済学」を構築してきました。
さて、21世紀の政治経済学において、前者の小野理論は「消費社会論」を後継する新しい現代社会論としての「貯蓄=投機社会論」へと展開されてきました。それに対して、クーの「投資不足の経済学」の方は未だそのような展開を欠いています。
今回の記事は、この不均衡を是正するものであり、投資不足の経済学にさらなる展開を与えるものです。それが、すなわち、「投資停滞経済」論という現状認識・未来認識と、それに対応するための制度設計論としての「貨幣循環シフト」論なのです。
「投資停滞経済」論—トリクルダウン論の誤謬の本質について
リチャード・クーは、グローバリゼーションの状況下において、先進国では慢性的に投資が不足しがちであることを指摘しました。企業としては賃金が安い発展途上国に投資(工場建設等)をした方が利益率が高いため、投資先の重点が先進国から途上国にシフトするからです。
また、クーはその投資不足論をバランスシート不況論で補強しています。グローバリゼーション下での投資不足で慢性的に景気が弱い先進国では、金融緩和が長期化してバブルが発生し、その崩壊は企業や個人を債務超過状態に陥らせます。その状況では企業は利益の最大化ではなく負債の最小化を目指し、結果として投資がさらに不足するというわけです。
対する消費不足の経済学としての小野理論では、消費の飽和の観点から投資不足を論じています。すなわち、成熟経済における貯蓄は、成長経済においての貯蓄と違って、将来の消費に備えたものではないのです。特に富裕層に顕著なことですが、消費の欲望が飽和気味である一方、お金への欲望が残存している現代において、貯蓄は貯蓄のために、ただお金を増やすために追求されており、消費には必ずしも繋がりません。とすれば、結局は消費者によって消費されることでしか回収され得ない投資に企業が踏み切れないのも当然というわけです。
この最後の小野理論の論点をさらに展開すれば、投資不足は一種の必然ということになります。というのも、消費が飽和している以上は、その消費財をもっと作るための投資などはなされなくて当然だからです。私の理解では、この転換は高度経済成長期が終わった1970年代から80年代に既に始まっていました。
もちろん、その後もパソコン、インターネット、スマホなど世界を一変させる技術革新は数多ありましたが、電気・水道・ガス・道路・鉄道といった基本的なインフラ、近代的な住居、そして各種家電や自動車といった耐久消費財が一通りの普及を見た1970年代以降においては、それまでのような大規模な投資が行われないのは、ある意味では当然なのです。
もちろん、私もいま消費を我慢している中間層以下の人々の消費需要を満たすための投資や、21世紀に対応した社会インフラ構築のための投資は必要だと考えています。しかし、その規模は高度成長期には及びませんし、また現状認識ではなく、一種の未来認識として語るのであれば、この投資不足ないし投資停滞は完全に必然的でしょう。というのも、経済が十分に発展した状態では、何か新しいモノを作るための投資は不要であり、必要な投資は既存のインフラや製造設備の維持管理・補修に限定されるからです。
問題は、このように現にあり、また将来的に必然的である投資停滞経済の問題点を認識することです。
以下は日本の優れたアマチュア経済学者である堂免信義が論じていること1を大いに参考にしています。
さて、企業の営業活動では、企業は労働者をできるだけ安く買い、労働者の別側面である消費者に商品をできるだけ高く売ることで利益を上げます。この過程では全体としてはどうしてもお金は家計から企業に流れます(企業黒字・家計赤字)。他方、企業の投資活動では、企業は将来の営業での利益を見込んで、銀行借入を利用して「信用創造」によって貨幣を創造しつつ、大胆に赤字を出します。ここではお金は企業から家計に流れます(企業赤字・家計黒字)。
とすると、企業が営業活動をするのみならず、将来のより大きな利益を見込んで十分な投資活動をするときにのみ、企業と家計間のお金の循環が機能します。逆に、投資活動が停滞するのであれば、お金の流れは家計から企業への一方向に偏り、企業と株主が利益を独占することになります。また付言すれば、企業投資の停滞は銀行貸出の停滞であり、信用創造こそが貨幣の源であるために、民間の貨幣創造そのものの停滞でもあるのです。
ポイントは、投資停滞が経済の成熟の不可避的な帰結であるとすれば、家計から企業へとお金が流れていく傾向も不可避だという点です。そこでは、投資が少ないまま営業活動ばかりが行われることで、お金は家計から企業と株主に吸い上げられていき、銀行貸出が停滞するのでお金の総量も増えていきません。これが不可避の傾向なのです。
これが進めば、当然最終的には家計の購買力が細り、消費が停滞し、企業利益そのものが消失していきます。現にそうなっていないのは、この企業黒字・家計赤字の傾向の背後で、政府が赤字を引き受けることで、家計を赤字にさせていないからです。政府から家計に渡ったお金が企業に流れ込むことで、家計はなんとか赤字に落ち込まずに済み、企業も継続的に利益を上げることが可能になっているのです。
以上から、企業利益の増大や富裕層の富裕化によってトリクルダウンが起きて一般の庶民にも富が行き渡っていくというトリクルダウン論がなぜ誤りであり、現実に失敗したのか、その本質的な理由が見えてきます。そのトリクルダウン論を中核に据えた新自由主義的な経済学が出てきたのは、まさに高度経済成長が終わり、投資停滞経済への移行が始まった時期なのです。そこでは投資による企業から家計へのお金の流れが細り、お金は家計から企業へと流れる傾向を強めます。そこでは企業や富裕層に集まったお金が一般庶民に還流する経路が塞がれているのです。
「貨幣循環シフト論」—資本主義循環から税金循環への重点シフトについて
以上の議論を二つの貨幣循環という観点から整理してみましょう。
一方に「企業の銀行借入による貨幣創造、企業の投資による家計へのお金の流れ、企業の営業による家計から企業へのお金の環流、銀行返済にともなう貨幣消滅」という循環、堂免が資本主義循環と呼ぶ貨幣の循環があります。他方に「政府支出による貨幣創造と企業や家計へのお金の流れ、税金による貨幣消滅」という循環、堂免が税金循環と呼ぶ貨幣の循環があります。
さて、現状分析でもあり、また将来の必然でもある「投資停滞経済」が指し示すのは、後者の資本主義循環が「企業への貨幣滞留、家計の貧窮化、それが巡り巡って企業利益の消失に行き着く」という仕方で機能不全に陥るという事態です。
だからこそ、現代において税金循環の重要性が知らず知らずのうちに増しており、政府支出と財政赤字の増大が先進国共通の傾向となっているのです。ここで一つのポイントは、貨幣の出所としての政府支出の増大は必然ですが、財政赤字が増大しているのは課税による貨幣回収が不十分であるためで、これ自体は必然ではないということです。
さて、投資停滞経済において、資本主義循環は、そもそも貨幣を十分に生み出すことができず、また生み出した貨幣も企業と株主のもとで滞留するという機能不全に陥ります。だからこそ政府支出に始まる税金循環は、まず貨幣を生み出すという点においてより大きな役割を果たさなければなりませんし、その貨幣の支出と税金による回収のあり方は、企業と株主(富裕層)への貨幣の滞留という傾向に対するカウンターとして機能する必要があります。
この貨幣循環の重点シフト、それを認識し、また適切に設計すべきであるというのが「貨幣循環シフト」論です。
その基本理念はトリクルダウンならぬトリクルアップであるべきです。その方法の一つがやはりユニバーサル・ベーシックインカムでしょう。まず政府が貨幣発行によって家計に最低限の購買力を配布する。その家計の消費によって、お金は企業に流れ、一部は労働者に還元され、残りは利益として企業に留保されたり、配当として株主に渡ったりする。お金は下からスタートして上に流れていくのです。
ここでお金がまず消費者に分配されることで、企業はしっかりと消費者の需要を見ながら生産することになり、政府から企業に直接お金が配分される場合よりも、無駄な生産が行われにくくなります。ここで無駄というのは、有限な実物資源の無駄であり、人々の有限な時間(労働)という資源の無駄のことです。売れないモノやサービスは、人々の便益につながっておらず、まさにこれらの資源の無駄遣いです。
家計の消費を通じてお金が企業に渡り、それが労働者に分配されていくこと、ここにも否定すべきことは何もありません。お金とは実物的な財やサービスへの交換券であり、お金を得ることは社会全体が生み出す財やサービスへのより大きな分前を得ることです。大きな分前はまさに財やサービスの生産への貢献に応じて与えられるべきですから、実際に消費者が購入した財を生み出した人々により大きなお金が渡ることは理にかなっています。
以上のトリクルアップは、いわばお風呂の下側、排水口から水を入れて、上から溢れてきた水を排出するような形で設計されるべきです。
お金が下から注入され、それが上に流れていくことは上記のような利点があるものの、上にお金が溜まりっぱなしになることは格差拡大による社会の一体性の喪失や、お金が増えすぎることによる貨幣価値の不安定化の可能性、金余りによる金融資産バブルの発生(=バブル崩壊による経済不安定化の危険)等々の問題を引き起こします。だから排水機構が必要なのです。それがまさに税金です。
ここで税金は、実体経済におけるフローに対してよりも金融市場におけるフロー、そしてストック(資産・金融資産)に対してかけるということが基本となるべきです。
というのも、実体経済においてお金が流れるときには人々の便益を増す財やサービスが生み出され消費されており、この便益の増大こそ、まさに経済の本来の目的に叶うものであって、これを抑制するべきではないからです。
他方、現代においてお金は最終的に金融市場に行き着くことが多いように思われます。多くの人が余分に稼いだお金で株を買う。もちろん、そこでお金は株を売った人の手元に行くのですが、その人もそのお金を消費に回すのではなく、また別の株を買うために証券口座に置いておく。その人が株を買うと…以下繰り返し。こうしてお金は金融市場に滞留し続けるのです。
もちろん、株式会社という仕組みには多くの利点があり、創業者や初期の出資者が株で大儲けできることには、イノベーションに対するインセンティブという意味で社会的な意義があります。そして、彼らの大儲けを株式市場という株の中古市場が支えていることも事実でしょう。それは認めつつも、株の中古売買自身には実際に財やサービスを生み出すような経済的便益の創出効果はなく、その意味で社会的に促進されるべき行為ではないことも事実でしょう。
金融バブルの危険性と合わせて考えれば、金融資産や金融市場での取引に課税することで、そこに滞留しているお金を社会から抜き取っていくことが推奨されます。
まとめと結論:トリクルダウンからトリクルアップへ
ここまで本稿では「投資停滞経済」論と「貨幣循環シフト」論を展開してきました。
「投資停滞経済」論では、経済が成熟して企業から家計にお金が流れる投資が細り、家計から企業にお金が流れる営業に重点が置かれるようになると、お金は家計を離れて企業や株主に滞留し、それがひいては消費を停滞させて企業の利益獲得自体が不可能になる。そうして経済全体が機能不全に陥るというメカニズムを指摘しました。
ここでは、企業や富裕層の利益が一般家計に還流する経路が機能不全に陥っており、それがトリクルダウンが失敗した理由です。
このような機能不全を認識することで、私たちは「貨幣循環シフト」論へと導かれます。企業の銀行借入と投資に始まり、営業活動による利益と借入返済に終わる貨幣の資本主義循環に対して、政府支出での貨幣創造に始まり、徴税による貨幣破壊で終わる税金循環が否応なしに重要になってきます。私たちは、そのことを認識して、現代の資本主義循環の機能不全を解消するべく税金循環を適切に設計しなければなりません。
そのための基本理念がトリクルダウンの反対、トリクルアップです。政府の貨幣創造によって一般家計の購買力を作り出し、そのお金が企業や労働者や株主に流れていって、最後、金融市場や各種資産市場に滞留するようになったところで、それを徴税により抜き取る。もちろん、市場の経済活動で得られたお金は社会への貢献に対する対価であり、それを全て抜き取るべきではありませんが、最後、金融市場に来たお金は余剰のお金であり、また金融市場の活動の社会的意義は、そこでいま得られている金銭的利益ほど大きくはありません。
かくして、金融市場へのお金の滞留と資産価格バブルの悪影響の可能性を考えるとき、お金を抜き取るとすればまずは金融資産・金融市場からだという判断は揺るがないと思われます。
投資停滞経済の必然を認識し、世界の経済全体を機能不全から救うために、貨幣循環シフトの制度設計を行うこと、それこそがまさに喫緊の課題であるように思われます。
- 以下の論文等を参照のこと。「現代の貨幣経済における経済格差拡大メカニズムの理論的考察 –その1 : 通貨の循環不全による経済格差拡大」https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/a065f6f8-bab1-463e-86c1-f688898960f5/content ↩︎


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