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今回の記事では、太平洋戦争(大東亜戦争)と緊縮財政のアナロジーを追求します。
日本を「滅ぼした/滅ぼしつつある」ものとして、この二つに興味深い並行関係があるからです。
今回はこのアナロジーを包括的に展開したいと思います。それは太平洋戦争と平成の緊縮財政という日本を破滅に導く二つに共通する構造を明らかにすることで、近代日本の「失敗の本質」を根本的に解明するものとなるでしょう。
- 第一節では、両者のアナロジーの根幹にある官僚制の暴走とメディアの抱き込みという論点を提出します。
- 第二節では、これに随伴する現代のアカデミズムの劣化という論点を追加します。
- 第三節では、現代ではインターネットという希望があるということを論じます。
- 第四節では、「失敗が失敗を生む」という問題を論じ、太平洋戦争の間違った仕方の反省の結果として緊縮財政を位置づけます。
- 第五節では、久野収による「天皇制の顕教と密教」という論点を借りて、それと似た構造が戦後において以下に反復されたのかを明らかにします。
官僚制の暴走とメディアの抱き込み—旧陸軍・財務省・大本営発表・軽減税率
一つ目の論点は、官僚制の問題です。無謬性の前提を持ち、既存の路線を修正を苦手とする官僚制が制御されずに暴走するときにこそ、国家の政策全体が誤った方向に突き進み、破滅が訪れることになるのです。
戦後に「昔陸軍、今大蔵省」という言葉が流行りましたが、これはこの言葉が意図する、国策の方向性の決定において支配的な立場にある官庁を並べるという意義を超えて、日本を「破滅させた/破滅させつつある」官庁を並列してもいるのです。
もう一つの論点は、メディアの問題です。官僚制を制御し、その暴走を止めるのが政治の役割ですが、民主制のもとでは政治の背景には民意があります。この民意の形成に大きく影響するのがメディアです。だから、官僚制にメディアが押さえられる状況は救いようがないのです。
戦前であれば、それは戦時の大本営発表という仕方で頂点に達しました。現在、日本のマスメディアは新聞なら全国紙、テレビ局ならキー局が少数であるなかで、両者がクロスオーナーシップで一体化しています。その上で、新聞に(食料品と並んで!)消費税軽減税率8%が適用されることによって、マスメディアが全体として財務省に従属し、そのプロパガンダ・メディアに堕しているという状況において、官僚制のメディア支配が極まっています。
アカデミズム劣化のタテの要因とヨコの要因—ピア・レビューと専門主義
この状況をさらに悪くしているのは、マスメディアと並んで現代社会で情報の主要な発信源となっている(社会科学)アカデミズムの全面的な劣化です。
まず、私のようにMMT派の貨幣論を根本的に受け入れている立場からみれば、緊縮財政とさまざまな点で共振する主流派経済学は、その主要な部分に関して「フェイク・ナレッジ」(ビル・ミッチェル)であり、それ自体としてはともかく、それが現実に適用されるときには、温情的に言えば「時代遅れの認識」、厳しく言えば単なる「デマ」以外の何者でもありません。
なぜこのような「時代遅れの認識」が温存されるのでしょうか。それを理解するにはアカデミズムを劣化させている「タテの要因」と「ヨコの要因」とを考慮に入れる必要があります。「タテの要因」とは経済学の内部で主流派経済学というデマが再生産される構造を指摘するものであり、「ヨコの要因」とは、政治学や社会学などの他に並び立っている社会科学から、主流派経済学というデマの訂正が行われない構造を指摘するものです。
さて、経済学内部で主流派経済学というデマを再生産する「タテの要因」とは何でしょうか。それはアカデミズムの基本であり、その品質を保証するはずのピア・レビューシステムが、時代遅れの認識を再生産する装置として機能してしまっているということです。
アカデミズムでは研究者同士が相互に研究を評価して、その価値を定めていくこととされています。これがその実、いまや時代遅れの認識を生産して地位を得た人々が、自分たちの地位を維持しようと、時代遅れの認識に適うもののみに価値を認め、そうでないものを排除することで、時代遅れの認識を再生産するだけのシステムに堕落しているのです。
この「タテの要因」を強化し、ピア・レビューが時代遅れの認識の再生産システムとして動作することを助けているのが、近年のアカデミズムにおける研究者の需給の根本的な不均衡でしょう。日本に関していえば、90年代に大学院重点化といって大学院生が抜本的に増員されたにもかかわらず、2000年代には少子化と緊縮財政のもとで、大学の数も大学予算も減少に転じていった。すなわち、研究者の供給は増えたが、需要は頭打ちとなったのです。
この需給の不均衡は、すでに地位を得ている研究者たちの権力を否応なしに増大させます。限られたポストを得ようと厳しい競争を強いられる若手研究者たちは、勢い先行世代の主流の考え方に迎合するような研究に集中しがちになり、時代遅れの認識の再生産に加担していくのです。逆にこのような状況を見て、すでに地位を得ている研究者たちは我が意を得たりということになるのでしょう。自分たちの見解が若い人々によっても継承されているのだ、というわけです。
この過程で、主流派経済学は時代遅れの認識だと気づくような人々や、真理を何よりも重視するような誠実な人々は抜けていき、経済学アカデミズムに残るのは、それが時代遅れの認識だと分からないような人々か、それを見抜いてはいても、真理よりは地位追求を重視するために時代遅れの認識の再生産に加担する人々が中心となります。すなわち、経済学アカデミズムは根本的な能力不足と腐敗、言い換えれば、知的劣化と道徳的劣化に支配されることになるのです。
現代経済学の惨状を見るとき、このようなプロセスが既に作動していると考えることに一定の合理性があるのではないでしょうか。
続いて、他の社会科学による経済学の修正を不可能にしている「ヨコの要因」についても取り扱いましょう。経済は社会や政治と密接に関連しており、社会や政治を真面目に考えようとすれば、経済を考えざるを得ません。だとすれば、経済学自身は時代遅れの認識に嵌りこんでしまっていたとしても、社会学や政治学の側から批判的な介入があり、経済学の変容が促されていくのではないでしょうか。だが、そうなっていないようです。なぜでしょうか。
それはアカデミズムが専門分業を基本としていることによるでしょう。そこでは各人が専門性をこそ自らの言説の正当性の根拠にしているため、他人の専門には口を出さないことが規範となっているのです。もし他人の専門に不用意に口出しをすれば、他人からも自分の専門に口出しをされることを招き、自らの専門性という言説の正当性の根拠、要するに権威が絶対的なものではなくなってしまうのです。
一方では知的な誠実さの表現ではありながら、他方ではこういう自己保身的な側面を持つ、専門外に口出しをしないという相互的な禁欲が、時代遅れの認識が他の学問分野からのヨコからの介入によって正されていくということを不可能にする「ヨコの要因」となっているのです。
ここにまた先に「タテの要因」でも指摘したような研究者の需給の不均衡も影響してくるでしょう。このような需給の不均衡は、若い研究者に研究成果を量産する強いインセンティブを与え、それは勢い更なる専門化という形をとることになります。狭い専門を追求した方が着実に業績を上げやすく、また既存の枠組みを脅威にさらさないという点で評価もされやすいからです。
だから、先行世代においては知的な誠実さの表現であると同時に自己保身的な禁欲であった専門外に口出ししないという行動様式は、後続世代では本当に知らないから口を出せないという事態へと転化していく傾向があるはずです。いずれにせよ、「ヨコの要因」は存続します。
いまさらインターネットという希望を叫ぶ
さて、こんなふうに太平洋戦争と緊縮財政のアナロジーから出発して、現代を財務省・マスメディア・アカデミズムが結果的に結託して、財務省の官僚制の暴走が制御不可能になり、緊縮財政により日本が滅ぶ暗黒時代として描き出してきたわけですが、しかし、現代においてはインターネットというオルタナティブなメディアがあります。ここに太平洋戦争時とは異なる希望があるのです。
マスメディアを抱き込みつつ暴走する官僚制の暴走を止めるには、インターネットにおける対抗言論を通じて大衆世論を反緊縮ないし積極財政に動かしていくほかはないのですが、それだけの力をネットが持ちつつあるように思うのです。マスメディアはそのなかでオールドメディアとして信頼を失いつつあります。
アカデミズムの方はまだなんとか体裁を保っているようですが、このままインターネットの反緊縮運動が勝利することになれば、経済学への信頼の完全な崩壊とともに、それを修正し得なかったアカデミズムという制度そのものへの信頼にも相当に深刻な傷がつくことになるでしょう。ここで私は主に社会科学を念頭に置いており、人文学や自然科学はこの限りではないことは注記しておきます。
以上が太平洋戦争と緊縮財政のアナロジーの大枠です。戦前の日本は明治維新から80年の太平洋戦争終焉で滅び、戦後の日本は戦後80年で緊縮財政によって滅びつつあります。しかし、現代にはインターネットという、官僚制の暴走プロセスを反転させうる希望があるし、私たち自身がその希望を大きく育てるべく(どんなに微力であっても)活動しなければならないのです。
「失敗は失敗のもと」―失敗の誤った反省が次の失敗を生むメカニズム
さて、さらに両者のアナロジーないし並行関係に二つの論点を追加していきましょう。
その第一は「成功」と「失敗」の独特の関係について、第二は「顕教」と「密教」ということについてです。
「成功」と「失敗」について私が述べたいことは、成功体験に固執することが次の失敗につながる「成功は失敗のもと」ということがよく語られのに対して、太平洋戦争と緊縮財政との繋がりは、前者の失敗の(誤った)反省が後者の失敗につながるという「失敗は失敗のもと」という構造をもっているということです。
すなわち、こちらの記事で論じた通り、国債発行による財源調達を原則的に禁止し、税を財源とすることを法制化している財政法第四条は、憲法第九条を裏書きするものと考えられてきたのです。日銀による国債の直接引き受けによる財源調達が軍拡と太平洋戦争の遂行を可能にしたのであって、国債による財源調達を否定すれば、もはや戦争は不可能になるというわけです。
問題は、このように緊縮財政が平和主義という戦後日本の国是と結びついてしまったことで、本来は財政拡張的であるべき左派の主流が、その平和主義と憲法九条へのコミットメントから緊縮財政に誘導されてしまい、いまだにそれが続いていることです。
太平洋戦争への反省に基づく、いわゆる戦後レジームは、その平和主義において、その実、緊縮財政なのです。
もちろん、この反省は間違っています。戦争を可能にするから国債発行(積極財政)はダメだというのは、火傷をするから火はダメだという類の議論であって、人類を北京原人以前にまで退行させるような発想でしかありません。火は確かに火傷を引き起こすが、調理によって栄養摂取を安全かつ効率的にするという点などにおいて、非常に大きな利益があったのです。火は火傷をしないように使おうという話なのであって、積極財政も戦争をしないように使えばいいだけの話なのです。
あるいは、この種の誤った反省には、戦争そのものではなく、戦後のいわゆるハイパーインフレを引き合いに出すものもあります。曰く、国債の日銀による直接引き受けなどをやったからハイパーインフレが引き起こされたのだというのです。
この議論に対しては、MMT派が明確にしているように、インフレ的なのは貨幣の発行方法でもなければ、貨幣の量でさえなく、実際に有限の財やサービスを購入する「支出」の量であることを対置しましょう。その上で、インフレがハイパーインフレにまで高まる原因は、貨幣に価値を与える徴税システムが稼働しなくなるほどの国家の機能不全や、生活必需品が欠乏するほどの実物的な供給能力の毀損であると言わなければなりません。
実際のところ、国債の日銀引き受けを開始した1930年代前半の高橋財政から激しいインフレが起きていたわけではないですし、明治初期のさらに怪しげな貨幣発行の方法である裏付けなしの政府紙幣にしても、西南戦争までは顕著なインフレを引き起こさなかったのだから、貨幣の発行方法自体がインフレ的であるとは到底言えないでしょう。
インフレを引き起こしたのは戦争であって、それは戦争が、戦争への各種の動員(徴兵・勤労動員)という形で、実際の支出を行いながら供給能力の相当の部分を占有し、またその支出によって購買力を社会に移転することによります。戦争は民生品のための供給能力を戦争への動員によって減らしながら、動員の見返りに人々に与えられる貨幣によって、民生品への需要を増大させるのであって、それがインフレ圧力を生み出すのです。
それにしても、大東亜戦争当時の有名な標語である「月月火水木金金」や「欲しがりません、勝つまでは」は、そのころの大蔵省の思考の的確さを物語っています。戦争は動員により供給能力を減らし、また動員の見返りの購買力移転により需要を増やすのですが、上記の二つの標語は、それぞれ労働強化によって供給能力を高め、禁欲によって需要を抑えることを目指しており、戦時中のインフレ圧力の緩和のための的確な情報発信となっています。
確かに戦時中も貨幣発行量は増えていましたが、コロナの際も活躍した「自粛」を通じて、その貨幣の使用、すなわち、支出を抑制することにより、太平洋戦争時の日本は一定のインフレ制御に成功していたのです。やはり問題は単純な貨幣発行量ではなく、支出なのです。このように考えると、インフレと貨幣発行量に関しては、貨幣発行量の増大によってインフレが引き起こされたかのように語られがちですが、インフレが起きると貨幣発行量を増大させざるを得ないという逆の因果関係も同様に認識されるべきであると思われます。
以上のような事情により、ハイパーインフレが起こったのは終戦後でした。それは復員による需要の急増(復員者は必ずすぐに食べ物その他を必要とするが、怪我や社会の混乱などのために必ずしもすぐに働けるわけではない)、戦争末期の空襲による流通能力を含む供給能力の広範な破壊、そして熊沢天皇のような偽天皇を出現させるほどの国家権威の崩壊と統治機構の能力低下の帰結であったのです。
さて、以上述べてきたのは、太平洋戦争の失敗を「反省」して、平和主義を採用する結果として、緊縮財政に走ることの誤りでした。積極財政を採用しつつ、戦争しなければいいだけの話なのです。また、戦争の積極財政そのものがハイパーインフレを起こしたというのも誤解です。それは要するにボロボロの敗戦の結果なのです。
いずれにせよ、太平洋戦争の失敗、その破滅についての誤った反省が、緊縮財政の失敗、その破滅を生み出すという構造には、日本近代の悲劇的なところが感じられます。いや、マルクスの「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という名言を採用するなら、この二度目は喜劇なのかもしれません。次にこのことを考えてみましょう。
顕教と密教―「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
最後の話題、「顕教」と「密教」に移りましょう。久野収という戦後に活躍した思想家が太平洋戦争に向かっていく戦前の歴史を理解するために提示した図式の話です。
曰く、戦前の日本の天皇に関しては顕教と密教という二重の言説が存在したのです。
広く大衆に教育された顕教の方では、天皇は神の子孫であり、現人神であり、絶対的な権威として日本の主権者でした(憲法学説としては天皇主権説)。他方で、一部のエリートのみが共有している密教の方では、日本は立憲君主制であり、天皇は日本という国家の一機関に過ぎませんでした(天皇機関説)。
要するに、伊藤博文を中心とする明治の統治者たちは、一方では西洋でキリスト教が果たしているような国民統合の役割を神聖化された顕教的天皇によって実現しつつ、実際の国家運営においては、天皇機関説的な密教的天皇を戴きながら、立憲君主制による合理的な統治の貫徹を目指したというわけです。
ただ、久野の論述のポイントは、このような明治の統治者たちの思惑が裏切られたところに太平洋戦争へ向かう流れが生じたと論じるところにあります。すなわち、エリートの合理的な密教は、(普通選挙実施以降の民主主義の大衆化のなかで?)大衆の非合理的な顕教に押しつぶされ、国体明徴声明で天皇機関説が公式に否定された延長線上に、太平洋戦争の非合理な精神主義が現出したというわけです。
すなわち、先に私は軍部という官僚制の暴走を指摘したわけですが、実際には、軍部は単独で暴走したわけではありません。それは国民やメディアと共振していたのです。1929年の世界大恐慌を、浜口・井上の民政党政権が、その緊縮財政によって倍加したことによって生じたデフレ不況下の一般の人々の困窮、それに徴兵制を通じて直接に触れ合う機会をもった軍部の青年将校たちが、その庶民の窮状と共鳴していくなかで、天皇を中心に既存の体制を一気に転覆しようという昭和維新という構想を立ち上げていったのです。そこに顕教的な絶対君主としての天皇のイメージがあったわけです。
さて、このように戦前の大東亜戦争に向かう過程における顕教と密教についての話を紹介することで何が言いたかったかといえば、現代の緊縮財政にも、これと似た顕教と密教の構造が存在するという話です。
すなわち、レイの金ピカ本『MMT現代貨幣理論入門』(p.376-377)で紹介されているのでMMT界隈ではよく知られている話ですが、ケインズ経済学と新古典派経済学を総合した「新古典派総合」を創出し、戦後の初期の経済学のドンとなったポール・サミュエルソンは、均衡財政論を(プラトン風に言えば)「高貴な嘘」として、必要悪的な「神話」として、いまの文脈でいえば「顕教」として語っているのです。
すなわち、確かに通貨の発行者たる国家に財政制約があるなどというのは馬鹿げているのですが、これを大っぴらに言ってしまっては、愚かな大衆の支出要求が止まらなくなって混乱が生じてしまいます。だから財政制約の不在はエリートのみが知る「密教」にとどめておいて、大衆に教える「顕教」としては均衡財政の原則を採用しようというわけなのです。
さて、戦前との対比で興味深いのは、エリートの合理的密教が大衆の顕教的神話に足元を掬われて敗北したという戦前の構図に対して、戦後ではエリート自身が顕教的神話にもっとも深く騙されているように思われることです。
エリートの知的劣化と言ってしまえば簡単ですが、ここに見られる現代エリートの間抜けさは、戦前のエリートが「策士、策に溺れる」的な、その構想の卓越性のゆえにこそ没落していくという悲劇性を持っていたことに比して、物語に喜劇的な色彩を添えているようにも思われます。
やはり、マルクスがヘーゲルに付け加えたように、歴史は反復されるにしても、それは「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」というようでしかあり得ないのかもしれません。


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