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少子高齢化が問題だ、人口減少が問題だと言われます。本当にそうなのでしょうか?
この記事では、本サイトの「21世紀の政治経済学」の立場から、少子高齢化・人口減少問題について考えます。
その結論は、「少子高齢化は怖くないし、人口減少は良いことですらありうる」というものです。
以下、このことを根拠づけていきます。
前提:重要なのは実物的な資源と供給能力の制約のみ
さて、21世紀の政治経済学は貨幣観・財政観についてはMMT(現代貨幣理論)を採用しているため、経済において重要なのは実物資源と実物的な供給能力(知識・技術に裏付けられた生産設備・労働力)だけだと考えます。
ポイントは、問題は社会保障費や年金などのお金ではないということです。お金がいくらあっても自然資源や労働力や知識や技術に裏付けられた生産設備がなければ何もできませんし、逆にお金がなくてもこれらがあれば問題ありません。お金の発行主体である政府はいくらでもお金は手配できるからです。
以下の考察はこのことを前提とします。
少子高齢化:市場メカニズムとそれによる自動化・省力化で問題なし!
まず、少子高齢化について考えましょう。少子高齢化の問題は、少ない現役世代で多くの高齢者を支えなければならないということです。
これは年金や社会保障というお金の負担の問題として考察されますが、これについては上記の前提から問題ではありません。
ただ、全人口に対する働いている人の比率が下がり、相対的に少ない労働力で多くの人口を支えなければならないという実物的な供給能力の制約として考えれば、これは確かに問題です。
ただ、ここに関しては以下の3点より問題ないと私は考えます。
1点目として、本当に全人口に対する労働力の比率は下がるのかという問題です。高齢化においては、当然基本的には健康で働ける年齢の上限も上がっていくでしょう。そういった人々がしっかり働いてくれるのであれば、そう思われるほど全人口に対する労働力の比率は下がらないと思われます。
2点目として、現代の技術的水準において、相対的に少ない労働力で多くの人口を支えることは本当に難しいのかということです。
たとえば、ほとんどの人が農業に従事してようやく人口を支えていた前近代と比べて、私たちの生産性がどれほど上がっているかを考えましょう。前近代の鋤や鍬の農業と、トラクター等各種農業機械やドローン、品種改良、化学肥料や農薬に支えられた現代農業を比べれば、労働者一人あたりの食料生産量はおそらく少なくとも数十倍になっているでしょう。その結果、農業従事者の総人口比率は劇的に下がっています。これと同じことをして働いている人全体の総人口比率を下げられれば何の問題もないでしょう。
そして、21世紀にはIT一般に加え、AIやロボットや自動運転といった、省力化技術の発展が著しいのです。これを適切に育てて実用化していけば、このような働いている人の比率の減少(が起こるとしても、それ)に対応は十分可能でしょう。
3点目として、このような対応について、市場メカニズムに期待できるということです。
ハイエクの市場哲学によれば、市場の意義は価格メカニズムのシグナル効果です。需要が供給を上回り、相対的に希少になったモノの価格は上がり、その価格がシグナルとなって、需要側は使う量を減らそうと節約をしたり、代替品を探したりと需要を減らします。逆に供給側は儲けるチャンスだと思って、供給を増やそうとします。そうして需給が均衡に向かい、あるものの希少性の問題が解決に向かっていくのです。
このシグナルが誰か中央の官僚などから出されるのではなく、市場取引の中で自然と生じてくるということ、これがハイエクが称揚した分散的な情報処理メカニズムとしての市場の意義に他なりません。
そして、少子高齢化による労働力不足は別に突然起きるわけではなく、徐々に起こります。とすれば、このハイエク流の市場の価格メカニズムによる調整に期待しても良いでしょう。徐々に労働力が希少になっていくなら、その価格としての賃金が上昇し、労働力の需要側である経営者は労働力を節約しようと省力化・自動化技術による代替化を模索します。これは半ば以上冗談ですが、そのような労働力の価格上昇を見て、人々が労働力の供給を増やそうとして子供が増えるかもしれません。
以上の3点、①そもそも働く人の比率はそれほど減らない可能性がある、②働く人の比率が減っても省力化・自動化の技術が適切に活用されるなら問題はない(農業人口の比率が激減したのと同様に)、③このような省力化・自動化は市場の価格メカニズムによって促すことができる、この3点によって、私は少子高齢化自体はそれほど心配する必要がないと判断します。
ところで、この③が移民労働力の導入には慎重であるべき理由でもあります。移民労働力を安易に導入して労働力不足を解決してしまうことは、市場メカニズムを通じた自動化・省力化の促進という技術発展の正しい方向性を阻害してしまうのです。
人口減少:自然資源の制約を考えるとむしろ良いことかもしれない!
さて、少子高齢化の問題は、労働力という資源・リソースの希少性の問題でした。ここに関しては、本当に希少になるのか、希少になったらなったで代替できるから問題ないだろうと論じました。
対する人口減少の問題は、むしろ広い意味での自然資源というリソースの希少性の問題に関わります。技術によって労働力というリソースの希少性の問題は突破しうると思いますが、自然資源のリソースの希少性の問題まで突破できるかは未知数です。
もちろん、あらゆるものがリサイクル可能になり、自然資源の希少性も実質的に問題ではないような世界も来るかもしれません。あるいはまたどんな生産・消費活動も環境を破壊・汚染しない、あるいは破壊・汚染したとしても回復できるような技術的革新もありうるかもしれません。その意味で環境問題もないといった時代も来るのかもしれません。
ただ、こういったことはまだ見通せませんから、むしろリスクは人口増大の方にあると見るべきです。際限なく人口が増大するなら、最後は自然環境の制約にぶつかって、限られた資源の奪い合いでみんなが不幸になる、そういうマルサス人口論的な問題、経済学における唯一の真に深刻な問題が生じてしまう可能性があるのです。
とすれば、人口減少は現段階では良いことだとみなすべきだと思われます。したがって、少子高齢化が問題ではないことと合わせて、先進国における少子化、発展途上国の先進国化に伴う少子化は、人口を減少させるものとして、むしろ歓迎すべきなのではないでしょうか。これが今回の記事のさしあたりの結論となります。
需要不足問題についての補足
しかし、以上で積み残された問題があります。需要不足問題です。
以上の想定のもとでは、人口減少・少子高齢化下でも自動化・省力化によって供給能力が維持されるものの、人口やそのなかでも若者・現役世代が減っていますから、需要の方は減っています。この需要不足は非常に問題です。なぜなら、需要不足、すなわち供給過剰は、人間の労働力が余ってしまうこと、失業や低賃金労働につながってしまうからです。それは供給能力が大きいという豊かさゆえに、供給能力の一部をなす人間が余ってしまって貧困が生み出されるという「豊かさゆえの貧困」であって、21世紀の政治経済学が最も問題だとみなしているものです。
要するに、人手不足だと賃金が上がっていって自動化・省力化がなされると、一転人手が余って失業や低賃金労働が増えてしまうということになりかねないのです。これはそれ自体問題ですが、不条理ですらあります。自動化・省力化で供給能力が維持されても、買う人がいないという状況だからです。だって、多くの人々にはお金がないですから。
これが要するに政府による需要創造が重要である理由です。すなわち、これこそが、供給能力の余剰だけが正当な意味での財源であると主張するMMTに基づき、労働とは無関係に一定の購買力を人々に配るUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)が最終的な解決策となるという「21世紀の政治経済学」の主張の背景です。人口減少のもとでなら、このようにして人々の自然な需要を満たせるようにしても、自然資源・自然環境に過度な負担をかけるはないことも期待できるでしょう。


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