(ハイパー)インフレはなぜ起こる?積極財政の末路は高インフレ?

(ハイパー)インフレはなぜ起こる?積極財政の末路は高インフレ?

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「責任ある積極財政」を掲げる高市政権の誕生で一躍脚光を浴びた「積極財政」という言葉。

しかし、「物価高(=インフレ)対策に「積極財政」は逆効果だ」という批判も後を絶ちません。積極財政はインフレを引き起こし、インフレを解決するどころか悪化させるというわけです。

実際のところは、どうなのでしょうか?

この記事ではインフレの原因について原理的に考察しつつ、「積極財政はインフレを引き起こすのか」という問題を、積極財政を擁護する立場から徹底的に考えます。

目次

インフレの原因を考える—実物的な原因と金融的な原因とインフレの自己強化

インフレとは、インフレーションの略で、全体的な物価上昇を意味します。特定のモノの価格が上がるだけではなく、物価が全体として上がることによって、初めて真の意味でのインフレとみなされます。モノの価格が全体的に上がるということは、逆にいうとお金の価値が下がっているということでもあります。

さて、このインフレの原因を考えてみましょう。

これにはいろいろな原因論が存在します。インフレの原因論をさしあたり実物的な原因と金融的な原因とインフレの自己強化に分けてみましょう。

実物的な原因論は、あくまで実物的なモノやサービスの需給に注目します。それによればインフレは何らかの原因で需要が供給を上回った結果となります。よく言われるディマンドプル・インフレやコストプッシュ・インフレ、積極財政界隈で最近よく聞くサプライロス・インフレなどは、この需給の不均衡に注目するインフレ原因論です。

金融的な原因論は、実物的なモノやサービスとはあまり関係なく、お金そのものに注目します。MV=PTという方程式、いわゆる貨幣数量説の式から、お金が増えたらインフレになると主張したり、あるいは財政赤字などで通貨の信認が損なわれることでお金の価値が落ちてインフレ、さらにはハイパーインフレが起きると主張したりする立場は、この原因論に属します。

インフレの自己強化は、インフレ自体がインフレの原因であるという原因論です。最初のインフレの原因がなんであれ、インフレが起きるとインフレ自身がさらなるインフレの原因になるというのです。

以下、これらの議論について詳しく検討していきましょう。

インフレの実物的な原因—何らかの意味で需要が供給を上回ること

さて、実際のモノやサービスの観点からインフレを説明する実物的原因論は、インフレの原因を何らかの意味で需要が供給を超えた結果だと考えます。

好景気で需要が引っ張るディマンド・プル—「良いインフレ」

そのうち代表的なのが、ディマンドプル・インフレです。これは非常に景気が良くなり、人々がどんどんモノを買って消費し、それに対応するべく企業も生産力を拡充しようとばんばん投資していくような状況です。ここでは消費と投資という需要がその時点の供給能力を上回っていきます。

すると、限られたモノやヒトにお金が殺到するわけですから、当然、モノやヒトの値段が全般的に上昇していきます。これが需要が引っ張るディマンドプル・インフレであり、好景気の証として、「良いインフレ」といわれます。インフレが何か肯定的に語られるときにイメージされているインフレはこれです。

供給網における不具合がひき起こすコスト・プッシュ—「悪いインフレ」

続いて重要なのは、コストプッシュ・インフレです。こちらは供給網(サプライチェーン)のどこかで不具合等が生じてコストが嵩んだり生産が停滞したりして、その影響を受けてモノやサービスが値上がりしていくことです。

たとえば、オイル・ショックのときにOPECが先進国のイスラエル支援への抗議として人為的に引き起こした原油高、コロナ禍におけるロックダウン等によるサプライチェーンの混乱由来の価格高騰、ウクライナ戦争によってロシアやウクライナからのエネルギーや食料の供給が阻害されたことによる原油高や小麦高、あるいは最近の日本の円安由来のインフレなどが、コストプッシュ色が強いものだと考えられます。

あるいはオイル・ショック期のアメリカのインフレで見られたとされる、物価が上がると労働組合が賃上げを要求し、その賃上げを吸収するために物価が上がり、すると…という「賃金・物価スパイラル」も、賃金という生産コストに由来している点で、コストプッシュ的とみなすことができます。

このインフレの特徴は、不可欠かつ代替が難しい重要なモノに関連してのみ起きるという点です。

そもそも、市場メカニズムの意義は、ハイエクが主張したように、あるモノの価格が上昇すると、それを節約したり、代替品を探したり、あるいは価格上昇に乗じて儲けようとそれを供給しようとする人が増えたりといった仕方で、そのモノに関係する人々の行動が変化して、過度の価格上昇を生み出すような需給バランスの崩壊が自ずと修正されていく点にあります。ハイエク曰く、人々の非自覚的な集合行為から生み出される価格メカニズムこそが、どんなエリートによる中央計画・司令よりも優れた情報処理・伝達システムなのです。

であるとすれば、あるモノについて起きる局所的なコストの上昇からくる価格上昇は、そのモノを節約したり、代替品を模索したり、あるいは価格上昇に乗じて儲けるためにそのモノ(ないし代替物)を供給しようとする挑戦者が出てきたりといった仕方で、そのモノの需要を減らし、供給を増加させることになるので、インフレというほど全般的なものに波及しないのが普通なのです。

とすれば、コストプッシュ・インフレに発展するのは、上の例のような原油といった基幹エネルギー、主食、一切のものにコストとして含まれる労働力、ほぼ全てのモノに関わる輸送関係の混乱や通貨安など限られた要因によることが分かります。あるモノの値段が上がれば、その分だけ需要が減るのが普通なのですが、それが起きずに需要が継続することによって価格上昇が緩和されにくいわけです。

また、他方で、こういったものであっても時間をかけて代替が進んでいくという市場メカニズムによるインフレ抑制効果も無視できません。たとえば、円安によるインフレを問題視する論調は理解できるものの、このように輸入品が高くなるからこそ、国産品が相対的に有利になり、生産拠点の国内回帰が進むという市場の調整メカニズムの動きも見落とすべきではないのです。

さて、このコストプッシュ・インフレは一般に「悪いインフレ」とみなされます。そもそも何かサプライチェーンに混乱が生じてコストがよりかかるようになったというだけでも、基本的には世界が非効率になっているわけですから、悪いことです。

さらに、特に日本などでは、どこか遠くの外国でコストアップが生じていて、そのコスト分は日本から外国に流出していきますから、日本国内では物価は上がるが賃金はさほど上がらないということで、実質賃金が目減りし、普通の人々は平均的に貧しくなってしまいます。これは流石に良くないでしょう。

また、政府や日銀が「賃金と物価の好循環」なる言葉でもって、先に述べた「賃金・物価スパイラル」を何か肯定的に語っているのはやや不可思議です。賃金と物価が追いかけっこでスパイラル的に上昇していくのは、輸入物価由来のインフレよりはマシですが、特に良いこととは思われないのです。おそらく、それがいいといえるのはインフレが「早く買わないと損だ」という仕方で総需要を高めるから、そうしてディマンドプルのインフレに繋がっていくからでしかあり得ないはずです。

デフレの果てに起こるサプライロス—「悪いインフレ」その2

積極財政界隈で影響力のある三橋貴明が提唱し、最近界隈では言及されることが増えてきたのが、サプライロス・インフレです。

これは要するに需要不足・デフレのなかで需要の減少に合わせて供給能力が削減され(=サプライがロスし)てきた結果、ちょっとしたきっかけによって、あるいは深刻な場合には供給能力全般の崩壊によって、供給不足からのインフレが生じるということです。

この典型例が最近の米価高です。コメの需要減少に応じてずっと減反政策を続けてきた結果、コメの供給能力が弱っており、ちょっとしたきっかけで供給不足からの米価インフレが生じたというわけです。また別の例では、21世紀に入ってからの公共事業の削減によって土木関係の供給能力も削減されてきており、これも工事費等のインフレに寄与していると考えられます。さらに、そもそも昨今の人手不足というのも、もしそれがあるのだとすれば、ある意味でデフレ放置の帰結とも思われるわけです。

このインフレも悪いインフレでしょう。せっかく存在した供給能力をわざわざ削減してきた結果、現に必要なものが高い値段でしか買えなくなってしまったというわけで、多くの人の生活が苦しくなるからです。

このサプライロス・インフレは、積極財政派にとっては一般に不利とみなされるインフレ状況をも、デフレの帰結として説明できるという点で、積極財政派によって重宝されている類型だと言えるでしょう。

インフレの金融的な原因—貨幣数量説と「貨幣=バブル」説

インフレには、このような実物的なモノやサービスについての議論を経由せず、ほとんどお金だけで説明する原因論も存在します。

貨幣数量説—その成立のための諸前提

まずは貨幣数量説と言われる学説です。これはMV=PTという式によって表現されます。ここでMはmoneyでお金の量、Vはvelocityでお金の流通速度、Pはpriceで物価、Tはtransactionで取引の量です。

左辺のMVは、どれくらいの量のお金があって(M)、それが特定期間に平均的に何回動くか(V)を表現していて、要するに延べのお金の支出量です。100円のお金(M)が10回動いた(V)ら、100円×10回=1000円のお金が支払われたというわけです。

そのお金の総支出量に対応するのが、右辺の実物のモノやサービスの取引です。お金が支出されるのはモノやサービスを買うためですから、それらを買う実際の取引(T)があって、それに物価(P)を掛けたものが総支出額とイコールになります。

すなわち、左辺の延べの総支出額が1000円だったら、右辺はりんごが200円(P)で5回買われた(T)か、あるいは100円で10回買われたか、いずれにしても、右辺も1000円になるわけです。

そして、このMV=PTはさらに≒でGDPということもできます。というのも、MVもPTもある期間での全取引額を表しているからです(輸入輸出や資産取引の調整は必要ですが)。

さて、いわゆる貨幣数量説は、この式を特異な仕方で解釈し、お金が増えるとちょうどその分だけインフレが起きると主張します。

すなわち、貨幣数量説によれば、お金の動く速度であるVは短期的には不変で、またTもお金と関係なく決定されています。結果として動くのはMとPだけなので、Mが増えれば、それに比例してPも上がるということになるのです。

これが純粋に金融的な原因論であることは明らかでしょう。この貨幣数量説では実物的な需要は関係ありません。というのも、この説では取引Tは固定されており、需要が増えるわけではないのです。ただ取引されるときの価格だけ、お金の量に比例して上昇するのです。

それにしても、なぜVとTの固定などという想定が可能なのでしょうか?そこには主流派経済学のドグマが隠れています。Vの固定に関わるのが主流派経済学における貨幣の不在の問題で、Tの固定に関わるのが主流派経済学の「完全雇用の神話」です。

Vの固定性について—主流派経済学におけるお金の実質的な不在

Vはなぜ固定されるのでしょうか。それは主流派経済学に特別な存在としてのお金が実質的に不在だからです。私たちは現実に生きる人間として、お金が特別な存在だと知っています。私たちは将来不安から必要以上にお金を溜め込んだり、あるいは社会的成功の指標等々として、お金を貯めれば貯めるほどうれしくなり、預金口座や証券口座の残高を見てニンマリしたりします。

しかし、主流派経済学はこのような特別な地位をお金に認めていません。それはあくまでモノを買うための交換手段であり、確かにお金を手に入れて即座に使うということはないにせよ、一定の平均的なタイムラグを経てお金は使われると考えます。だから、Vは固定されているのです。

これに対して、上で書いたようなお金の特別の地位を認め、モノの消費が飽和していく豊かな社会では、ますますお金を貯めることの魅力が相対的に高まっていって、どんどんとお金が動きにくくなる(Vが下がる)とみなすのが、本サイトでよく扱っている小野善康の小野理論です。

実際、このお金の流通速度Vの逆数であるマーシャルのKは各国で上昇傾向にあり、Vは一定ではなく徐々に下がっています。

Tの固定性について—完全雇用の神話

続いてTの固定性について考えましょう。これもお金の量と無関係に決まっているとされます。なぜでしょうか?それは市場は勝手に均衡にいたるという前提、つまり、市場では価格メカニズムを通じて需要と供給が一致していて、働きたい人は全員働けている完全雇用が達成されているという前提を主流派経済学が採用しているからです。

市場は基本的に常に完全雇用で、使えるリソースは完全に活用されています。だとしたら、そこでお金が増えたところで実際の取引量が増えることはありえません。取引量はすでに最大なのです。もちろん、こんな想定が現実的ではないことは、ハイエクのケインズ批判を論じた記事で論じておきました。

「貨幣=バブル」説—主流派経済学の「間抜け比べ」貨幣論

主流派経済学の「間抜け比べ」貨幣論とMMT派の「租税貨幣論」

また、主流派経済学には、現代の貨幣はそれ自体には価値がない紙切れだから、そもそも「貨幣=バブル」であるという考え方もあるようです。貨幣が価値を持っていること自体に根拠がなく、その価値は合理的に説明できないバブルに他ならないというわけです。これは日本でも岩井克人の『貨幣論』などを通じていくらか知られているでしょう。

これに対して、MMT派のレイは、この主流派経済学の貨幣理論を「間抜け比べ」理論として批判的に論じています。すなわち、主流派経済学では貨幣の価値には根拠がなく、その価値は、自分より後にそれを受け取ってくれる人がいるという事実性だけによっているわけですが、それはいわば全く無価値なものを最後に受け取るのは誰かという間抜け比べ、ババ抜き的な様相を呈しているというわけです。そこでは、私たちが貨幣を受け取るのは、この全く無価値なものを自分よりも後に受け取ってくれる、自分よりももっと間抜けな奴がいると想定するからでしかない、というわけです。

この「間抜け比べ」理論に対して、MMT派が対置するのが「租税貨幣論」に他なりません。それは要するに貨幣の最後の受け取り手として、(それこそ主流派経済学の枠組みで言うなら)いわば最大の間抜けとして国家(政府)を置きます。しかし、政府がただの間抜けではないのは、政府に対して貨幣を渡さない者、つまり、納税しない者を捕まえるだけの暴力装置を備えているからです。

すなわち、ある国に住んで経済活動を営みたい人は、その国に納税する義務があるのであって、それを怠るなら、その人は捕まり、財産が没収されるのです。この納税の義務のためにその国に住む人々はその国の貨幣を受け取るように仕向けられ、だからこそ、そのような人々から何かを買いたい人々もその国のお金を受け取るようになります。こうして国家という最後の受け取り手がいることによって、そこからお金の受け取りの連鎖が広がっていくのです。これがMMT派の貨幣の捉え方になります。

ハイパーインフレの原因は金融的ではなく実物的

さて、主流派経済学系の人々の一部は、この貨幣の無根拠性、そのバブル性という想定から、何かちょっとしたきっかけでインフレが起きる、それどころかハイパーインフレが起きるかのように論じることがあります。そのきっかけは多すぎる財政赤字や政府債務(「国の借金」)であり、あるいは日銀の赤字や債務超過です。

しかるに、上の「租税貨幣論」に始まる論理を踏まえれば、こんなことでハイパーインフレが起きることはないことがわかります。しっかりした徴税のシステムが稼働しており、それでもってお金を受け取ることへ促される人々が有意義な生産活動をできていて、そういう人々からモノを買いたい人がたくさんいる限りにおいて、お金というシステムは機能するのです。

逆にハイパーインフレが起きるのは、生産や流通の崩壊によって有意義な生産活動が不可能になって決定的な物不足が生じたり、統治機構全般が機能不全に陥って徴税がまともに行われなくなるような環境です。すなわち、財政赤字や日銀財務のような金融的な要因によってハイパーインフレが起こるわけではなく、もっと実物的・全般的な社会解体、具体的には行政と生産の機能不全からハイパーインフレが起きるのです。

これを金融的なものは原因ではなく結果であるというふうに表現することもできるでしょう。よくワイマール期のドイツのハイパーインフレに関して、インフレ率と貨幣発行量が並行して鰻登りになっていくグラフが提示されます。これを素朴に見ると過度な貨幣発行(≒財政赤字)がハイパーインフレを引き起こしたと言うふうに、金融が原因であるかのような解釈に導かれますが、これに対しては逆の因果関係も想定可能です。

高インフレのもとで政府がさまざまな資源の調達を行おうとすれば、多額の貨幣発行が必要となります。すなわち、インフレの後をおって貨幣発行量が増大してきたのです。もちろん、ここで政府は金融的なブレーキを踏まなかった点で非難されるべきではあるものの、これを持って金融的な原因がハイパーインフレを引き起こしたかのようにいうのはやはりミスリーディングでしょう。

ハイパーインフレの背景は、あくまでも第一次世界大戦に敗れたドイツ国家の全般的な権威低下や機能不全であり、フランスによるルール占領に端を発した生産・供給体制の崩壊であって、まさに先に述べたような行政と生産の機能不全に他ならないのです。

このように考えると、私たちは「過去の帝国は財政赤字によるハイパーインフレで滅んだ」というようなナラティブに対しては懐疑的であるべきです。ハイパーインフレが帝国滅亡の原因なのではなく、むしろ、その結果なのではないでしょうか。国が滅んだから、その国の貨幣は価値を失ったのであって、その国の貨幣が価値を失ったから、その国が滅んだわけではないのです。

私たちは金融的なハイパーインフレ原因論に見られるような、金融が起点となって帝国滅亡のような重大事を起こしていくというような金融中心主義は捨てるべきでしょう。それはお金を過大評価する現代的偏見の歴史への投影に他ならないのではないでしょうか。

インフレの自己強化メカニズム—インフレがインフレの原因だ!

さて、最後のインフレの原因論はインフレの自己強化メカニズムを指摘するものです。最初のインフレの原因がなんであれ、インフレはインフレを引き起こすのです。

この具体的なメカニズムの一つは、コストプッシュ・インフレの中で述べた「賃金・物価スパイラル」です。物価が上がると、労働組合が賃金上昇を要求する。その賃金上昇を吸収するため、企業は「売価=物価」を引き上げる。それがただただ螺旋的に進行していくわけです。

もう一つのメカニズムは、インフレが消費や投資を促進して総需要を増大させるという経路です。インフレで物価が上がっていくなら、モノは早く買わないと損です。そうして消費や投資が促進されて、総需要が増大し、これがディマンドプルのインフレ圧力につながっていくのです。

ただ、この後者の点に関しては、現代の「貯蓄=投機」社会では、インフレになるからモノを買おうではなく、インフレになるから株や不動産やゴールドやビットコインに投資しようという話になっているようにも思われます。つまり、モノのインフレは起きずに、資産インフレ(バブル)だけが起きていくという想定の方が現実的なようにも思うのです。

ひょっとすると、みんなが投資で儲けすぎて働かなくなる結果として、物不足や人手不足が生じてインフレになることはあるかもしれませんが…。

以上の全考察を踏まえて、積極財政とインフレの関係を考える

さて、以上の考察を踏まえて、積極財政とインフレの関係を考えましょう。

まず確認したいのは、私は金融的な原因論の考察において、積極財政が即インフレにつながるかのような議論は退けておいたということです。

貨幣数量説的にMV=PTを用いて、積極財政でMが増加するとPが増加するというのは、V一定とT一定が前提であり、これはどちらも満たされていません。特に重要なのはT一定を正当化する「完全雇用の神話」が現代の豊かな社会においては明らかに妥当しておらず、供給能力の余剰がかなり大きいはずであることです。

もちろん、積極財政が目指しているのは、この余剰の供給能力を活用することで、インフレを起こすことなく、人々により多くの所得とより多くのモノやサービスを提供することに他なりません。

また「貨幣=バブル」説を前提にして、「政府や日銀の財政状況によって通貨の信認が毀損され、ハイパーインフレが起きる」と主張するような議論についても、租税貨幣論の立場から、説得力が低いことを論じておきました。

続いて、実物的な原因論に関しては、積極財政は、公共投資を通じて直接的に、あるいは各種給付等を通じて間接的に、ディマンドプルの良いインフレを引き起しうる一方、コストプッシュの悪いインフレに関しては、減税などでその悪影響を緩和し、国家の関与による供給能力の安定化やサプライチェーンの再構築によって、その唯一の本質的な解決策でありうるという特徴があります。

もちろん、積極財政が過度なバラマキを意味するとすれば、それは労働意欲の低下を通じて労働供給を減少させ、それが賃金の上昇を引き起こしてインフレにつながる可能性も否定できません。ただ、これは何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という話でしかないですし、21世紀の技術動向を考えれば、徐々に小さくなっていく問題でしょう。

さらに、サプライロス・インフレを考慮することは、積極財政ではなく、緊縮財政こそが最終的に破滅的なインフレを引き起こすことを明らかにしています。需要不足を長期化させ、それに応じて供給能力が細っていくことを放置すれば、いずれはちょっとしたきっかけで供給が崩壊し、サプライロスのインフレ、ひいては金融的な原因論のところで指摘したような非常に強烈なインフレへとつながりかねないのです。

もちろん、ディマンドプルが良いインフレであっても、インフレの自己強化メカニズムなどによって、それが過度なインフレに高まることは問題です。しかし、そこでは累進課税などによる財政のビルトイン・スタビライザー機能と利上げという金融政策によるインフレ抑制によって、結局現代の先進国レベルの強力な生産能力と行政機構を持っている国では、これまでインフレが制御不可能になったことはないということを覚えておくべきでしょう。

課題があるとすれば、むしろ、資産インフレ(バブル)です。インフレになると、「早く買わないと損だ!」とモノやサービスへの需要が高まると言われていますが、現実には、保存場所が必要だったり、腐ったり、そもそも何か具体的な欲望が必要だったりするモノやサービスよりも、「インフレに強い」とされる資産(株・不動産・ゴールド・暗号資産等々)へとお金が殺到し、これらの価格だけがやたらに上昇するということになりかねません。

すると、積極財政といっても、給付系のものは買いたいのに買えないモノやサービスが多い、中低所得層に限定して行なっていくべきであることは確かでしょう。中間層以上であれば、お金の行き先は資産ということになる公算が大きいのです。逆に、こちらは状況次第ですが、資産収入が多い高所得者層に対しては、資産増税により適切にお金を回収していくべきでしょう。

以上の考察をまとめましょう。

私は積極財政が即インフレにつながるかのような、インフレの金融的原因論を否定しました。そして実物的原因論に注目するのであれば、積極財政はむしろ悪いインフレの悪影響を抑え、またそれを根絶し、逆に良いインフレを起こしうることを論じました。サプライロス・インフレの考察は逆に緊縮財政こそが破滅的なインフレへの道であることを示します。

これがさしあたりのインフレと積極財政の関係についての結論です。

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