【信用創造廃止論翻訳】フィッシャー『100%マネーと公的債務』

この記事は20世紀前半の大恐慌期に活躍したアメリカの経済学者、アーヴィング・フィッシャーの論文『100%マネーと公的債務』の翻訳です。原文はこちらです。

フィッシャーは大恐慌への対応を考えるなかで、景気変動を上にも下にも激しくする信用創造の廃止を主張するようになりました。100%マネーとは、銀行が100%の準備預金を持つということで、すなわち、信用創造の廃止を意味します。

この論文は、これを公的債務(国の借金)の問題を結びつけている点に特徴があります。現に銀行が抱えている銀行預金に対する100%の準備預金を、銀行が持っている国債を買い取るという形で供給することで、100%準備制度の発足と同時に公的債務が完済される、つまり国の借金を消すことができるとフィッシャーは論じています。

凡例

(数字)は注で、節ごとに最後にまとめて示してある。

原文の斜体や大文字による強調部分を太字で示している。

[]は訳者である私の補足である。

目次

100%マネーと公的債務

アーヴィング・フィッシャー イェール大学経済学名誉教授 1936年4月

この二年半のあいだ、全ての要求払い預金[=普通預金・当座預金など、預金者からの要求があれば銀行が現金を払い出さなければいけない預金の総称]の背後に100%の現金準備を維持する計画に対する関心が急速に高まっている。(1)

要求払い預金に対して、部分的な準備ではなく完全な現金準備をするという提案が、過去100年以上にわたって何度も何度も提起されてきたのは、なぜなのだろうか。なぜ特に今、これほど突然かつ劇的な仕方で、この提案に対して関心が示されているのだろうか。

この問いへの主たる答えは、幾たびもの恐慌である。多くの著述家たちが、それぞれ独立に、100%マネーの計画が恐慌の解決策になると考えたのだ。

別の箇所で述べたことだが(2)、私は以下のように考えるようになった。すなわち、100%マネーの計画は「適切に設計され適用されるならば、恐慌の問題を素早くかつ恒久的に解決するためにかつて提起された提案のうちで、群を抜いてベストなものである。なぜなら、それは行き過ぎた好景気と恐慌の双方の原因、すなわち、現在のように銀行貸出に結び付けられてしまっている要求払い預金の不安定性を取り除いてくれるからだ」。

もっと前に書いた本(3)で、私は以下のことを示そうと試みた。すなわち、最近のいくつかの恐慌、そして、私が証拠を得られた限りでは、ほかの全ての大きな恐慌は、ある二つの原因の一つあるいは双方によるものだった。その二つの原因とは、まずはじめには多すぎる短期債務であり、しかるのちに返済が試みられるときに、その返済の結果として生じる、流通媒体[=貨幣]のあまりに大きな収縮である。この二つの要因、すなわち、債務とデフレの双方ともが、部分準備銀行システムのうちに、互いに結びついた形で見出されるのだ。(4)

直近の恐慌でのもっとも際立った事実は、要求払い預金、いわゆる「小切手帳マネー」[=銀行預金と考えてよい]の三分の一以上にあたる80億ドルが破壊されたことだった。これは不安定な部分準備システムの自然な帰結なのだが、それが恐慌の非常な深刻さの主要な理由でもあったのだ。

もう少し詳しく述べよう。卸売物価の水準はほとんど半分になった、ということはドルの価値はほぼ二倍になった。ドルの購買力の変化があまりに劇的だったので、ドルで数えて20%の債務を返済したとしても、実際の債務負担は20%軽くなるのではなく、商品の観点からみて40%も重くなっているのだ。これが私が債務のパラドックスと呼んだものである。債務者が借金を返しても返しても、その借金は増えるのだ[=上で述べられたように、借金の返済はお金を減らし、それによってお金の価値が上がるので、実質の債務負担が重くなるということ]。

この債務のパラドックスが生じる理由は明白に以下のことである。すなわち、物価が下がるとき、ドルはより貴重になる。ドルが貴重になるのは、それが希少になるからだ。それが希少になるのは銀行貸出の返済によって国中の小切手帳マネーが破壊されるからだ。そして最後に、返済が小切手帳マネーを破壊する根本的な理由は、部分準備システムのうちにある。

小切手での決済に使われる預金の減少によって、恐慌時の経済の墜落の大部分を説明できるだけではない。それらの預金の復活によって、恐慌の後の経済の回復も説明できるのだ。この回復のためにアメリカ政府は全力で銀行に企業への貸出をするように働きかけ、また企業に銀行からの借入をするように働きかけた。だが、これは失敗した。すると今度はアメリカ政府が身代わりとなって、自分で借入をすることにした。本質的な点はアメリカ政府が借入をしたことではなく、その借入が銀行からだった点にある。そうすることでアメリカ政府と銀行が一緒になって「信用」を、すなわち、銀行がアメリカ政府に貸出した小切手帳マネーを、創造したのである。私の理論によれば、この新しいマネーこそが、それ自身は債務の副産物にすぎないものの、今日の部分的な回復の主な理由なのである。

(1)今回の恐慌に際しての最初の提案は、ヘンリー・サイモンズ教授により、内輪で配布されたガリ版印刷のメモの形でなされた。

(2)『100%マネー』 アデルフィ社 ニューヨーク 第二版 1936年 p.xviii

(3)『好況と恐慌』 アデルフィ社 ニューヨーク 1932年

(4)詳細な証拠に関しては、『好況と恐慌』を見よ。

現在の3.5%システム

1935年の連邦準備法まで、我が国の預金準備率は引き下げられていき、そのためにイングランドとは対照的なことに、我が国での危機はより厳しいものになっていった。少ない準備預金というこの脅威が早期に取り除かれない限り、将来の行き過ぎた好況と恐慌とはより悪いものになると考えざるを得ない。連邦準備制度は、表向きは準備預金制度の強化を意図しているとされているが、実際の結果においては準備預金制度を弱めている。直近の我が国の恐慌は世界中でもっとも厳しく、歴史上でももっとも厳しいものだった。そして我が国の預金準備率も世界中でもっとも低く、比較的重要ではないケースを除けば、歴史上もっとも低いものなのである。

要求払い預金に対する我が国の預金準備率は平均で10%だと思われているが、この10%の準備は現金ではない。それはそれ自身も連邦準備銀行における要求払い預金でしかない。そして、この要求払い預金に対する準備はたった35%でいいのだ。だから、人々の小切手帳マネー100ドルに対しては、名目上でもたった10ドルの準備預金しかいらないわけだが、要求されている実際の現金というと、さらに少なくたった3.5ドルなのだ。3.5が100の土台となる、このような逆立ちしたピラミッドは、どうしたって不安定になるしかない。これは3.5フィート幅の手押し車で転倒せずに100フィート幅の干し草を運ぼうとするようなものである。このように私たちの現在のシステムは、100%システムには程遠い3.5%システムなのだ!

にもかかわらず、銀行業に精通していない人のほとんどは、「銀行にある」彼らのお金が銀行にないなどとは夢にも思わない。そして、銀行業に精通している人のほとんどは、銀行にないお金が銀行にあるべきだとか、銀行がそのようなお金を持っておくことが有用だなどとは夢にも思わないのである。

マネーの問題は単に[現金との]兌換性の問題ではない。それはまた、ビジネス活動に支障が生じないように、流通媒体[=貨幣]の適切な量(と速度)を維持するという問題でもある。今日、取り付け騒ぎを成功裡に乗り切った場合でも、その成功はマネー不足を作り出すという代償でもって買われたものなのだ。というのも、引き出しによって準備預金が減ってしまった銀行は、財布に入った実際のマネーか、小切手帳マネーか、いずれにしても人々からお金を取ってこなければならないからだ。言い換えれば、銀行は、現金準備が法的な下限値を下回らないように、(貸出の返済を要求することで)預金を減らすことを強いられるのである。1ドルの現金が引き出されると、10ドルの預金が破壊されるかもしれない。現金引き出しの最終的な結果は、したがって、流通媒体[=貨幣]の総量の減少なのである。

明白なのは、もし現金準備の3.5%システムの代わりに100%システムを採用すれば、市中に流通するマネーの総量に影響を与えることなく、人々はどんな額のお金でも引き出すことができるだろうということだ。銀行はお金を得るために人々に頼むことはないだろう。すでに100%のお金を手元にもっているからだ。全ての人のお金は、信用(小切手帳マネー)を含めて、実際の、触れることができる、破壊し得ないマネーとなるだろう。それがポケットか銀行にあって、手渡しか小切手かで送金ができるのだ。(財布のお金と小切手帳のお金との)二種類のお金の区別はなくなるだろう。預金者の「銀行のなかの現金」はもはや今のようなフィクションではなくなるだろう。今の「銀行のなかの現金」は現金では全くなく、現金を用意するという単なる約束であり、単なる帳簿上の信用なのである。

古き時代の100%マネー

もっとも初期の預金銀行業は100%原則に基づいていた。17世紀のアムステルダム銀行はそのような銀行業を営んでいた。ハーバード大のダンバー教授は、その著書『銀行業の歴史』で、以下のように述べている。すなわち、「銀行マネー〔[フィッシャーによる補足]私たちが要求払い預金、あるいは小切手帳マネーと呼んでいるもの〕は、いつでも金銀貨幣と交換できることになっており、銀行は未交換の銀行マネーに対応する金銀貨幣の全量を金庫に実際に持っていると理解されていた」。

しかし、銀行は背信をすることによって密かに100%準備の一部を貸し出した。この方針は182年続いたのち、最終的に倒産を引き起こした。ダンバーは言う。「何世代ものあいだ、銀行の独特の規約のおかげで経営陣はこのやましい秘密を隠すことができたのであり、疑惑を押し殺すことができたのである。信頼できる経営のもとでなら倒産などあり得ない、非常に有用な銀行業のシステムは、銀行業の実情についての人々の認識の欠如のために、このように不信と破滅で終わったのである」。

ヴェネチア銀行や中世のゴールドスミスのような他の組織も100%システムを持っていたようである。このシステムが、背信行為によって、近代の商業銀行業に変容したのだ。

ドゥーリー氏は銀行員を「自分の友人に貸し出すことであなたのお金を保管している人」だと書いている。今日では、銀行員はこれはもはや背信行為ではないと主張できる。あなたと現代の法制度が彼に許可を与えているからだ。だが、もはや背信ではないにせよ、これはやはり公序良俗に反している。私たちは大昔にうまく機能していたシステムに戻るべきだと私は信じている。イングランドとカナダはもう部分的に戻り始めている。私の提案は単に完全に戻ろうというものである。

いかに移行を実行するか

しかし、この期に及んで、どうすればデフレなしに、この先祖帰りを達成できるだろうか。様々な方法が提案されている。もっとも単純なものの一つは、エンジェル教授によって提案された方法だ(5)。バンダーリップ氏によって提案されたような「貨幣委員会」や「貨幣局」、あるいは既存の連邦準備制度理事会を通じて、銀行が現に抱えている要求払い預金の準備率を100%にするのに十分な紙幣を、政府が銀行に貸し出すのだ。これは単に預金を現実のお金から成るものにするだけである。それまでと同じ量の預金が存在するのであって、増えも減りもしない。そして銀行はもはや総量を増やすことを許されない。銀行は国内にすでに存在する量の現金で仕事をすることしかできない。現金の量は政府の貨幣局によってのみ増やされうるのであり、したがって、法によって採用されている基準によってのみ増やされうる。準備預金を構成するマネーは、政府によって銀行に対して無利子で貸し出される。だからそれは銀行が続く限りでのマネーの使用権の贈与とでもいうべきものだ。窃盗を防ぐために、新しい紙幣は白紙のままで出して、銀行の連署で有効になるとしてもよい。実際に必要になるまで有効にならないわけだが、この新しい紙幣はごく少量以外は決して有効になることはないだろう。

(5)ジェームズ・エンジェル『100%準備プラン』Quarterly Journal of Economics Vol.1 No.1 1935年11月 1-35ページ

通貨管理

預金準備率を100%に引き上げたからといって、ゴールドへの兌換については何かを変更する必要はない。すなわち、金本位制を維持するか変えるかという問題は、100%マネーとは独立の問題なのである。だから、管理通貨制の問題もこれとは独立の問題だ。100%システムはマネーの量の不安定性の主要な原因を自ずから取り除いてくれ、結果としてマネーの流通速度の不安定性の原因、さらに結果として貨幣単位の価値の不安定性の原因をも取り除いてくれるだろう。

100%マネーへの転向者のなかには、ここ、つまり、100%準備に必要なお金を発行し、その後はそれを増やしも減らしもしないことで終わりとすることで満足だという人もいるだろう。そのような通貨は、量が絶対的に固定され決して変わることがないので、なんらの管理も管理者も必要としないだろう。議会制定法がシステムを一度固定して、それがずっと続くだろう。それはこれまでの金本位制のどんな形態よりもずっと「自動的」だろう。

しかし、私は個人的には、100%準備に加えて、スウェーデンのもののような公式の指数による貨幣管理システムがあったほうが良いと思う。100%準備システムと組み合わせれば、そのような貨幣管理はドルの購買力を安定化させることに高度な正確性を与えてくれるだろう。

国際収支上の決済に必要となる場合以外、ゴールドの利用は放棄し、市場実勢価格に任せておくのがよいのではないかと思う。しかし、これらは先に述べたように独立の問題であるから、100%マネープランの一部として論じられる必要はない。

しかしながら、ここでついでに、金本位制は100%プランのもとで、現在やこれまでの部分準備システムのもとでよりも、はるかに安定するだろうということを指摘しておきたい。ジョージ・ウォーレン教授のように、金本位制の国における物価の浮き沈み、したがってビジネスの浮き沈みを、もっぱらゴールドの商品価値の変化で説明しようとする人たちがいる。これはそれ自体では正しいが、その正しさは以下の事実を考慮にいれなければ射程の狭いものとなる。すなわち、ドル金貨の価値は、金貨だけではない、市中に流通している全てのドルの総量に大きく影響されるということ、そしてこの総量はというと、現在の部分準備システムのせいで、非常に激しく増減しているという事実である。世界中でゴールドの価値を上昇させ、ゴールドの保蔵を引き起こした最大の要因は、アメリカにおける80億ドルの小切手帳マネーの破壊だったのである。アングロ・サクソン圏におけるこの預金通貨の崩壊が、一オンスあたりのゴールドの商品価値を上げることによって、世界のほぼ全ての金本位制の国に恐慌をもたらしたのである。金本位制でない中国は難を逃れた。いくつかの金本位制の国はすぐに金本位制を止めるか、金貨の価値を下げることで部分的に難を逃れたのである。(6)

(6)1934年にロンドンで開催されたL’Institut International De Statistiqueの第12セッションでの私の「好況と恐慌は貨幣の本位制を通じて国際的に伝播するか?」という発表をみよ。

政府の機能としてのマネー

マネーと銀行業の管理を政府に任せることは安全で適切なのだろうか。

この問いへの私の答えは二重である。すなわち、政府は銀行からマネーの支配権をすべて取り上げるべきだが、マネーの貸出は銀行家たちに任せておくべきである。銀行が貸出するお金をもはや作り出せないようにするなら、銀行が自由に、少なくとも今よりはずっと自由に、好きにお金を貸せるようにしてよい。

このことが実践において意味するのは、商業銀行の二つの部門への分割である。一つ目の部門は、お金の倉庫であり、当座預金部門である。もう一つの部門は、お金を貸し出す部門であり、実質的には貯蓄銀行ないし投資銀行である。ロバート・ピールとオーバーストーンは、1844年以来イングランド銀行で利用されている計画を案出したとき、このようなことを念頭に置いていたようだ。イングランド銀行は、二つの部門、お金を発行する部門と貸出をする部門に分割されている。この計画は恐慌を減らすのに役立っているものの、銀行預金もお金として利用できるので、結果として貸出部門(「銀行部門」)もマネーないし要求払い預金という疑似マネーを発行しているという事実を見落としている。私が言いたいことは、要するに、マネーは国有化するが銀行業は国有化しないということだ。実際、銀行業を国有化せよという現在の要求は、国家がマネーのコントロールを取り戻しさえすれば、消えていくことになるだろう。さらに、私の意見では、貨幣創造と貨幣貸出との分離をひとたび実現すれば、あまりに複雑で私たちをイラつかせる銀行法のほとんど全てを廃止することができるだろう。取り付け騒ぎを起こす理由も無くなるから、預金保険も不要となるだろう。

さらにいえば、100%プランは貨幣創造と貨幣貸出との分離を完全にする唯一の方法である。私と交流がある半改宗者の一人は、100%準備ではなく80%準備を要求することを提案している。「きっと80%で十分だ」というわけだ。しかし、80%では銀行業からマネーを切り離し、政府にマネーへの完全な支配権を与え、銀行に銀行業への完全な支配権を与えるのに十分ではない。99%でさえも十分ではない。どうして、貨幣創造と貨幣貸出との分離を完全にしないのだろうか。

そのうえ、100%システムには、崩壊の可能性が格段に低いという利点もある。私たちは[ゴールドと兌換の]金証券に対する100%システムを持っていて、これは決して崩壊しなかった。兌換のためだけなら40%や80%の準備でも十分だっただろう。しかし、一度100%未満のシステムが採用されてしまうと、それをちょっとずつ減らしていこうという傾向が常に生まれてしまう。「こんなに大きな準備はいらない」というお馴染みの議論が再び聞かれることになる。準備を強化するために設立された連邦準備制度のもとで、徐々に準備が弱体化されてきたことをよく見なければならない。

主権というものの主要な特性の一つは貨幣機能である。ジョン・アダムズ大統領はあらゆる民間のマネー発行は奇怪なものであり大衆に対する詐欺であると考えていたと、フランク・グラハム教授が指摘している。

アダムズ大統領が明らかに念頭に置いていた原則は、紙幣やその補助物および少額硬貨の通貨偽造を犯罪とする原則と同じものである。何らかの民間の主体が50セント・5セント・1セント硬貨などを製造すれば、これらの硬貨はその額面価値より安い金属でできているから、製造者は不当な利益を得ることになる。このような貨幣偽造が合法化されるなら、国中に偽造硬貨が溢れて硬貨の価値は減価してしまうだろう。より一層重要なのは、民間主体が紙幣を製造して、それを市場に流通させることを防ぐことである。というのも、その場合には偽造者は国家を犠牲にして99%の利益を得ることになるだろうからだ。しかるに、銀行が銀行券を発行することによって、このことが合法化されてきたのだ。私たちがこれまで成し得たことは、部分的な準備を要求することで銀行券の発行をいくらか限定することだけである。

マネーとして流通させるために要求払い銀行券を発行することが、銀行に対して初めて許可されたとき、インフレーションと貨幣価値の減価がすぐに生じた。銀行券を無計画に発行していた州公認銀行はノラネコ銀行として知られるようになった。のちに連邦政府はそのような銀行券の全てに課税することで、それらを市場から追い出した。結果、国立銀行券だけが残って、その発行は特別の許可が必要とされ、限定されたものとなった。今日ではほぼ全ての国で、銀行券を発行するためには銀行はその権利、普通は独占権だが、それを主権国家から認めてもらっていなければならない。

しかし、多くの人が気づいていなかったのは、要求払い預金もマネーとして働くということだった。そして、民間銀行券の無計画な発行を引き起こしたのと同じ傾向によって、イングランドでもアメリカでも、小切手帳マネーの無計画な発行によって、銀行券発行の政府規制を迂回することがすぐに生じたのである。この迂回はほとんど気づかれなかった。1914年においてさえ、連邦準備法は連邦準備銀行券に厳しい規制を課すだけで、要求払い預金にはそうしなかったのである。

銀行券の準備として要求される現金は現在40%だが、預金のそれは3.5%である。しかるに、銀行券は流通している媒体[=貨幣]のなかではマイナーなものとなっており、預金こそが圧倒的にメジャーなものになっているのである。

このことの結果は、以前には人々は財産を財布マネー[=銀行券]の民間発行者に預けていたのと全く同様に、最近では小切手帳マネーの民間発行者に預けるということである。

民間の交通輸送会社にフィラデルフィアなどの都市の路面の利用を許可しているのと全く同じように、何十億ドルにものぼる私有財産が、アメリカの人々によって、このように銀行家に預けられているのである。今日では、実はこの貨幣創造特権はほとんど新しい利益をもたらさない。その果汁はすでに長らく搾り出されてしまっており、競争がついには新しい利益をほとんど不可能にしてしまっている。事実として、最終的な結果は、いわば不安定な積荷が揺れて銀行家自身が狼狽するということだった。アムステルダム銀行が信託されていたお金の最初の1%を貸し出したとき、利益を出すのには何のスキルも必要なかった。99%もの準備が残っていたからである。しかし、3.5%の準備しか残さないほどに多くが貸し出されている今日では、銀行家が失敗しないためには信じられないほどのスキルのみならず、信じられないほどの幸運が必要なのである。

憲法のまさに第一条に「議会はマネーを鋳造し、その価値を規制する権力を有する」と書かれている。これまで見てきたように、銀行が政府機能としての貨幣発行権を簒奪するのを許すことで、私たちはこの条項を疎かにしてきたのである。

政府の財政

現在、私たちの国の主要なマネーは、一万五千行の銀行による衆愚政治のなすがままとなっている。これらの銀行は一万五千の民間の造幣局に等しく、それらが毎日、それぞれ独立に国のマネーを創造し破壊しているのであって、政府は自らの[貨幣発行]特権がこのように簒奪されているのをなすすべなく傍観しているだけなのである。というのも、100%準備システムがなければ、政府は実際になすすべがないのである。政府が紙幣を発行したら、必ずや破滅的なインフレを起こすことになるのだ。要求払い預金に対する現在の3.5%準備システムのもとでは、兵士に20億ドルのボーナスを新規のドル紙幣で支払うと、それは「法定通貨」として、最大で570億ドルもの新規の小切手帳マネーに対する3.5%準備となりうるのだ!そういうわけで、小切手帳マネーに対する100%未満の準備を許可する限り、政府は財布マネー[=紙幣]を発行するという自らの主権的権利さえも十全に行使し得ないのである。ルーズベルト大統領が、より多くのドル紙幣を求める一切の要求を黙殺したのは、部分的にはまさにこのことを考慮したためだったに違いない。

他方で、[マネーが極端に不足する]マネー飢饉のさなかには、同じ部分準備システムのゆえに、政府は何十億ドルもの国債を銀行に売却した。その目的は、銀行が新しい小切手帳マネーを製造すること、またおまけに銀行がこのことの見返りに一種の貢物を受け取ることだった。ここでいう貢物とは国債に対する利払いのことである。このようにして私たちは100%システムと[貨幣発行という国家の]主権的権利の回復という目的に向かう代わりに、そこから離れていったのである。

これらすべては簡単にひっくり返すことができる。一つの方法は、エンジェル教授が提案したような資金の貸付によってではなく、新しい準備金を対価として銀行が所持している国債を買い戻すことによって、今後必要となる100%準備を銀行に供給するというものである。その後には当座預金の取り扱いに関して手数料を取ることを銀行に許可しよう。そうすれば負担するべき者がコストを負担することになろう。すなわち、サービスの受益者がコストを支払うことになるのだ。

この方法で政府債務の大半はほとんど一夜で償還されうる。これが100%システムを導入することで即座に得られる利点の主要なものの一つだろう。

もう一つの方法として、[エンジェル教授の提案のように]政府が銀行に新しい準備を貸出すこととし、銀行がいま所有している国債を保持し続けることを許して、そうすることで国債に対する利払いという形で貢物を受け取り続けることを許すと想定してみよう。新しいシステムによって政府債務は削減されるだろうか。明らかに最初は減らない。しかし、大きな恐慌が起きなくなり、それゆえに経済的な繁栄が急速かつ中断されることなしに増進していくのだから、痛みを伴う物価下落を起こさずに国中の成長するビジネス取引を処理するために、毎年より多くのマネーが必要となるだろう。そのようにして必要とされるマネーは、国債の購入という形で、政府によって貨幣局をつうじて発行されうるし発行されるべきである。このマネーで政府債務への利払いと[元本償還の原資となる]減債基金の積立の双方に十分だろう。

銀行家はどうやって暮らしていくのか

大きな恐慌を社会から取り除くことは、銀行家も含めてあらゆる人を助けるだろう。というのも、銀行家の不安定な準備システムが私たち全員を恐慌に陥らせるとき、銀行家は自分で自分の首を絞めているからである。

100%システムには銀行家にとって特別に有利な点もある。たとえば、100%準備を貨幣局からの無利子の貸付として調達すれば、銀行家は3.5%システムをなんとか管理することに付随する労苦・不安・出費といったことから解放されるだろう。100%システムのもとでは、銀行は、単にお金を保管して小切手によって振込をするだけなので、ある銀行家が言ったように「たった一人の人間」しか必要としないだろう。

すると銀行はどこから実質的な収入を得るのだろうか?また銀行はどうやってお金の貸出を行えるのだろうか?ほとんどすべての人がこう質問する。

しかし、これには簡単に答えられる。そもそも(商業銀行家を除く)すべての金貸し業者は、すでに存在するマネーを貸しており、自分で作ったマネーを貸しているのではない。投資銀行家でさえ、すでに存在するマネーを貸しているのだ。投資するために彼らにお金を渡した顧客は、それが実際に金庫に「預けられている」かのように、それを背景にして小切手を振り出すことで、そのお金を自分自身のものとして使い続ける、そういうことはできないのである。同様に、貯蓄銀行が住宅ローンで貸出すのは、預金者から得たお金だけである。貯蓄銀行の無知な顧客は、自分のお金を預金するときに実は投資しているのだと、あるときに気づくかもしれない。それでもまだ彼はそのお金は「銀行の中に」あると考えるかもしれない。しかし、彼はそのお金を小切手で使い流通させることはできないことを知っている。彼がお金を使うには、お金を「引き出す」しかない。それが実際に意味することは、債権などの他の投資商品を売るのと全く同様に、彼の持っている投資商品を売ることなのである。

借りたものだけを貸す借入機関の例があるわけだ。商業銀行家に関していえば、小切手に使えない貯蓄預金や定期預金で彼も確実にこれと同じことをできる。彼は自己資本を貸出すこともできる。残る唯一の疑問は、100%システムのもとでも、彼が今しているように、小切手に使われる預金の背後にある現金を貸出せるかどうかである。これは確かにノーだ。その現金は彼のものではないからだ。その現金は一セントの例外もなく全て当座預金者のものなのだ。商業銀行家がこの現金を使用したりコントロールしたりする唯一の方法は、現在の所有者からそのお金を商業銀行家に送金してもらうことである。たとえば、その現金の一部はローンの支払い、あるいは債権その他の証券の支払いで、商業銀行家に送金される。(小切手で使えない)貯蓄口座の預金として送金されることもある。[100%システムが採用されて]こういった設定になったとして、銀行は明らかに得をするのであって、損をするのではない。というのも、要求払い預金者の払い戻しの願いに対して、それがいつどんな額であっても、それに応じられないかもしれないという恐怖を銀行はもはや少しも抱かないだろうからである。そしてまた、大きな好況と恐慌から解放されたがゆえに、より多くの貯蓄があるだろうし、よって銀行に持ち込まれるマネーも増えるだろう。それを銀行の貯蓄・投資部門は貸出すことができるのだ。

いま存在している特別な理由

私たちを100%プランに招き寄せるいくつかの特別な理由がいま存在している。

一つは巨大な超過準備である。預金準備率を引き上げることでこれを吸収しない限り、この超過準備はこれまでの10倍ほどのインフレの可能性でもって私たちを脅かすことになるだろう。これらの準備は、事業貸出を増やそうとした連邦準備制度の無駄な試みによって作り出された。この試みが失敗した主要な理由は、商業銀行に貸出をすることを怖がらせてしまう部分準備システムである。

もう一つの重要な事実は、いまや法のなかに預金準備率を引き上げる条項があることである。なぜこの条項を活用して、100%準備にまで進まないのか?

もう一つの事実は、これまで銀行家が不安定な要求払い預金を裏打ちするものとして頼ってきた旧式の短期商業ローンが、今後も十分な量で存在する見込みがいまや存在しないことである。連邦準備制度は、そのようなローンの利用が永遠にアメリカのビジネスの一般的な特徴であり続けるという想定を置いているように見える。しかし、短期商業ローンの重要性はますます下がっており、他方で資本性ローンがますます重要になっている。このことの部分的な理由は、チェーン店その他によって商業や工業が全国的に統合することによって、かつて季節性ローンをとても一般的なものとした、地域ごとの変動が均されたことである。

もう一つの理由は、企業が長期債その他の方法で資金調達できるのに十分大きくなったことである。

アメリカのビジネスにこれらの革命的な変化が生じていたにもかかわらず、銀行の顧客は、同じ銀行あるいは他行での借り換えができるものと信頼しながら、三年間の事業に対して3ヶ月の借用証書にずっとサインし続けている!このような非弾力的なローン構造が十分に大きくなったとき、それは破裂せざるを得ず、大量の焦げついたローンを残すことになったのである。それは、商業銀行業の慣例に合わせるために短期ローンであることを装ってはいるものの、実は長期ローンであり、そういうものだと銀行家自身も分かっているようなローンだった。

一人の銀行家を含む、これらの主題の二人の専門家に別々に相談したところ、彼らはともにアメリカで短期ローンシステムが栄えることは二度とないと確言している。真の意味での短期ローンが現在の預金の量に追いつき、いま銀行のポートフォリオにある国債の代わりとなるのに十分になることは決してないだろう。これが正しいとすれば、現代には要求払い預金への3.5%システムの居場所はない。要求払い預金が短期ローンに裏打ちされていて、その短期ローンが一般的だったときでも、要求払い預金は十分に不安定だった。だから、短期ローンが例外となったら、3.5%システムはもはや存続不可能だ。この運命的な事実が認識されるのが早ければ早いほど、そうしてアムステルダム銀行のもともとの100%システムに回帰するのが早ければ早いほど、銀行家も含むすべての関係者にとって事態はよりよいものとなるだろう。

南北戦争後の数十年間、国立銀行券が紐づけられていた政府債務が減少するとともに、国立銀行券も減少していったのと全く同様に、預金通貨が減少していく商業短期ローンという形での民間債務に紐づけられ続けるとすれば、預金通貨も減少していくに違いない。だから、それに対して何かがなされなければならないのだが、100%システムの採用こそがそのベストな方策であるように思われるのだ。

100%プランは今こそまさに採用しやすいだろう。というのも、預金口座に手数料を取ることが流行りつつあるからだ。実際、ニューヨーク・ナショナル・セーフティ・バンク・アンド・トラスト社のエフロム氏はあらゆる預金・引き出し・小切手に5セントの手数料を課すことによって、預金システムをとても小口の預金者にまで拡大した。手数料があっても大きな需要があったという。他の銀行も同じことを始めている。エンパイア・バンク・アンド・トラスト社もそれをして、5セントではなく10セントを課している。

いまが100%プランを採用する良い機会であるもう一つの理由は、すでにビジネス界の大半が管理不可能な金本位制を離れ、管理通貨制に向かいつつあるという事実である。スウェーデンはその好例である。中国でさえ管理通貨制を採用することを決めた。しかし、重要な例はイングランドとスターリング圏である。現在の彼らのゴールドの活用法は、事実上、私が1920年に『ドルを安定させる』で提案し、またウォーレン教授が1933年に提案したものとなっている。すなわち、ゴールドの価格は変化し、ゴールドは国際決済のためだけに使われるのである。ナポレオン戦争ののち、イングランドが世界を金本位制に導いたのと同様に、いまやイングランドは世界を管理通貨制に導こうとしている。そして明らかに100%マネーが管理のしやすさでは圧倒的に一番なのだ。

心理的には、100%プランは銀行業を部外者にとって大いに理解しやすいものに単純化するだろう。現在は、銀行業について、思考の矛盾とでもいうべきものがある。預金者は銀行にある「自分の」現金について語るが、法的には銀行にあるすべての現金は銀行のものなのだ。

100%プランのもとでは、預金されたすべてのお金は実際に預金者にものとなるだろう。銀行は単なる管財人ないし後見人となる。しかるに、準備が100%に1ドルでもたりなければ、こうはならない。

私たちは100%プランのいくつかの利点について書いてきた。すなわち、恐慌の最小化、政府債務の償還、超過準備によるインフレ懸念の除去、平均的な人間がマネーシステムを理解できるように預金マネーを金庫の中にある本物のマネーに変えること、銀行がいま必要としているが、しばしば手に入らない短期ローンを不要とすること。

利点のうちでもっとも重要なのは、政府が失われた特権を取り戻し、憲法によって政府に与えられたマネーに対する主権的な権力を再び獲得することである。

上で挙げていない利点もたくさんある。そのうちの一つは、より普通の金利の復活である。もう一つは、恐慌時のローンの焦げつきの一般的な帰結である、銀行による産業の管理と支配の除去である。三つ目は自信の回復であり、これは経済の完全な回復、長期ローンの利用、資本財産業の復活、失業のより素早い除去に不可欠なことである。

本稿を終えるにあたって、100%プランは重要であるが万能薬として推奨されているわけではないという事実を強調したい。それは景気循環を均すだろうが、完璧に取り除くわけではない。過剰債務などのさまざまな不適応は、引き続き混乱を引き起こしうるだろう。しかし、3.5%システムに内在している巨大な混乱の種、すなわち、流通媒体[=貨幣]の供給が繰り返し激しく増減することについては、それが再び頭をもたげることを、100%システムは少なくとも防ぐことができるだろう。

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