MMT(現代貨幣理論)派や、それに影響を受けた人々は、しばしば「国債は借金ではない」と主張します。
この記事では、この主張の根拠を分かりやすく解説します。

「国債は借金じゃない」はMMTの基本。この記事では、この基本の初歩的な理解ができるようになるよ!
主権貨幣論―お金を作れる政府は、そのお金を借りる必要はない
「国債は借金ではない」ということを理解するために、まず「円」というものについて考えてみましょう。みなさんは、この円が、コメのように田んぼにみのっていたり、ゴールドのように鉱山に埋まっていたり、塩のように海水からとれたりするのを見たことがあるでしょうか。ないはずです。円は自然に存在するものではないからです。
円は自然のものではなく、政府が円をお金の単位として決定し、その円を発行することで初めて存在します。
また、以前は円などの政府が発行するお金をゴールドと交換する義務が政府に課せられていました(金本位制)が、1971年にアメリカがこれをやめて以来、政府の作るお金は自然のものといかなる意味でも結びついていません。
政府のお金、円は、ある領域内における最高の権力である主権を持つ国家が、その主権に基づいて、何らのものの裏付けもなく発行するお金であり、その意味で主権貨幣、あるいは国定貨幣と呼ぶことができるのです。このことから、政府は通貨発行権を持つということができます。
さて、ここから「国債は借金ではない」ということが理解できるはずです。何らの自然のものの裏付けなくお金を発行できる政府が、どうしてそのお金をわざわざ借りる必要があるのでしょうか。そんな必要はありません。だから、国債は見かけは借金のようでも、その本質においては借金ではあり得ないのです。
国債発行とは、本質的にはお金の発行、通貨発行そのものです。だから「国債は借金ではない」し、借金を返せないという債務不履行(デフォルト)もあり得ません。
また、お金を借りるならば、貸し手の意向によって、借りる額に制限がありますが、国債は借金ではないので、その発行額にも制限はありません。その意味では、国債は無限に無制限に発行することができます。
もちろん、「できる」からといってMMT派やそれに影響を受けた人の中に、国債を無限に発行「すべき」だなどと主張している人はいません。
お金は無限に発行できますが、実際の財やサービスを生み出す力(供給能力)は有限です。この力を最大限発揮することを目標にしながら、その力の限界点を超えないように、しかし、その力が大きくなっていくように、お金の量や向かう先を調整していこうというのが、MMT派やそれに影響を受けた人々の基本的な発想です。
MMTanukiと暗渠づたいおじさんの余談



今回の記事は普段よりだいぶ短いね。



うん、もともとは「国債は借金ではない」を、こういう主権貨幣論・国定貨幣論みたいな原則論で説明するだけではなくて、「国債は日銀が発行する日銀当座預金でしか買えない」という制度的な現実からも説明しようと思ってたんだ。ただ、この後者をしっかり理解するのは難しいし、多くの前提知識が必要だから、最終的には別の記事にすることにしたんだよ。



そういうことか。ところで、本文最後の段落なんだけど、「この力を最大限発揮することを目標にしながら、その力の限界点を超えないように、しかし、その力が大きくなっていくように、お金の量や向かう先を調整していこう」って言っているよね。だいたい異論はないんだけど、「その力が大きくなっていくように」という部分は、経済成長を前提としている点で、賛成しない人もいるんじゃないかな。



確かにね。MMTの貨幣論の部分を受け入れている人の中には、右寄りな人も左寄りな人もいて、とくに左寄りの人には、もう経済成長は必要ないと思っている人も多いよね。ぼく自身、まだ脱成長するには時期尚早だとは思っているけど、21世紀後半に向けて、こういう脱成長論的な発想は真剣に検討する余地があると思っているよ。
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