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この記事では、現代の先進国の政治制度とされるリベラル・デモクラシー(自由民主主義)の根本的な理解を提示します。
その構成要素であるリベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民主主義)の定義からスタートして、その両者の相性が良い面と悪い面を明らかにし、両者の協調と対立の物語としてリベラル・デモクラシーの歴史を整理します。
そのことを通じて、リベラル・デモクラシーとは何か、そしてそれがいま現在置かれている状況を明らかにしたいと思うのです。
なぜいまリベラル・デモクラシーを考える?
最近、グローバル化の時代の終焉ということがよく語られます。冷戦終結後のグローバル化は、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』に代表されるように、リベラル・デモクラシーの勝利と普遍化として語られました。
とすれば、グローバル化の終焉は、このリベラル・デモクラシーの勝利と普遍化というビジョンそのものの終焉でもあるのでしょう。
このことは、中国やロシアといった、いわゆる西側先進国に属さない国々が、グローバル化を経た後も必ずしもリベラル・デモクラシーにはならなかったこと、また西側先進国でも政治の分極化によってリベラル・デモクラシーが動揺しているように思われること、この二つの点に顕著にみてとれます。
このような状況が、リベラル・デモクラシーなる概念そのものの問い直しを促しているわけです。
以下では、そもそもリベラリズムとは何か、デモクラシーとは何かを考えた上で、その両者の関係について考察します。両者は順接で協調的に繋がる部分と、逆接で対立的に繋がる部分の両方が存在するように思われます。そのように複雑な両者の関係性について、まずは一番基本的なところから考察してみたいと思うのです。
リベラリズムとデモクラシー、それぞれの定義と、そのすれ違い
まず出発点として置きたいのは、以下の定義です。
- リベラリズムとは、個人の自由を確保するために、国家権力の範囲に制限をかけるもの。
- デモクラシーとは、国家権力の決定者を、なんらかの少数者ではなく、国民全体とするもの。
ここで理解すべきことは、両者は別の問題に関わっているということです。
一方のリベラリズムからすれば、国家権力の決定者が誰かということはさしあたり問題ではありません。誰が決定者であれ、個人の自由を確保するためには、国家権力の及ぶ範囲が制限されなければならないということにリベラリズムのポイントがあるのです。
他方のデモクラシーにおいては、国家権力の及ぶ範囲はさしあたり問題とされていません。それは国家権力は国民のもので、その決定は特定の少数者ではなく国民全体によって行わなければならないと主張しているのであって、その権力の決定範囲に何か制限を加えることを意図してはいないのです。
個人でいえば、自由であるとは自己決定できることだということで、リベラリズムとデモクラシーが一直線につながりそうですが、問題は国家の集団的な自己決定ですので、話はそう単純にはいかないのです。
さて、以上を出発点として、リベラリズムとデモクラシーのぞれぞれについて、もう少しその内容に歴史的な肉付けを行っていきましょう。
リベラリズムの三つの契機―マグナカルタ・宗教戦争・古典派経済学
リベラリズムの歴史的な展開を考える際には、マグナカルタ、宗教戦争、古典派経済学の三つの契機が重要でしょう。
13世紀にイギリスの貴族等の有力者がイギリス国王に認めさせたマグナカルタは、国王の権力を制限し、課税・徴発・追放・逮捕などからの基本的な自由を確保するもので、ヨーロッパにおける近代的憲法とリベラリズムの原点と位置付けられます。
16世紀の宗教改革勃発後に頻発した宗教戦争は、宗教が分裂している状況において国家が特定の宗教を強制することが、戦争の引き金となることを痛感させました。結果、国家が宗教を強制しないという思想信条の自由がリベラリズムに加わることになったと言ってよいでしょう。
18世紀のアダム・スミスに始まる古典派経済学は、スミス自身の意図はどうあれ、いわゆる自由放任主義の教義を浸透させました。国家の干渉を極力排除して、経済的活動の自由を最大限確保することが、経済的な富を最大化することに繋がるというのです。
この三つの契機によって、リベラリズムが国家の権力制限によって守ろうとした自由は、自分自身の身体や所有物の自由(マグナカルタ)に始まり、内心の自由(宗教戦争の反省)に展開し、さらには経済活動の自由(古典派経済学)へと発展していったと考えることができます。
もちろん、この経済活動の自由が、資本主義の本格的な展開のなかで巨大な格差を帰結し、社会が不安定化したことに応じて、リベラリズム的な「国家からの自由」は、19世紀の後半からは国家が福祉を保障する「国家による自由」へと展開していき、「自由」に加えて「社会」という言葉が重要になっていきました。
リベラル・デモクラシーならぬソーシャル・デモクラシー(社会民主主義)という言葉も、かつてはよく使われていたのです。
デモクラシーの二つの時代―古代と近代
デモクラシーについては、古代と近代の二つに分けて考えることがしばしば行われます。
古代のデモクラシーは、一人が政治を決定する王政、少数者による貴族政との対比において、多数者による政治を意味していました。その発祥の地であるギリシアが小規模な都市国家から成っていたこともあり、奴隷でない成人男性らが直接に民会で政治を決定する直接民主政が主に想定されていました。
このデモクラシーは、実際にギリシアの都市国家のアテナイなどで実現されたわけですが、思想的にはデモクラシーは大衆煽動によって衆愚政に陥り、非合理な決定を生みやすいとされ、警戒の対象となっていました。
近代のデモクラシーは、近代国家が都市国家ではなく領域国家となって、巨大な国土と人口を抱えるようになったことに対応して、直接民主政ではなく、選挙で選ばれた政治家が議会で政治的な決定を行うという間接民主政を採用しました。
そこには、選挙で選ばれた代表者ならば、知的にも道徳的にも優れているため、衆愚制のような非合理的な決定が防がれるだろうとの希望も託されていました。近代のデモクラシーは古代のデモクラシー批判を踏まえたものだったわけです。近代の民主主義は、権力を抑制するリベラリズムの思想と、初めの段階からすでに結びついていたともいえるでしょう。
リベラリズムとデモクラシー:その順接と逆接
国家の権力を制限することで個人の自由を確保しようとするリベラリズム、国家の権力の決定権者を国民全体としようとするデモクラシー、この両者は、普段、リベラル・デモクラシーと無造作に接続されますが、実際のところ、両者の関係はいかなるものなのでしょうか。
この節では、リベラル・デモクラシーを、リベラル/デモクラシーと切断した上で、その両者の間の順接(協調)的な関係と逆接(対立)的な関係の両方を捉え、そうすることで両者の関係の全体像を明らかにしていくことを試みます。
リベラル/デモクラシーの順接―権力 vs. 人々の図式
この両者が順接で繋がるのは、権力 vs. 人々という図式が成り立つ場合です。典型的には、権力が人々の外部にあった、いわば権力の外部性の時代です。それは、例えば、国王が絶対的な権力を振るっていた絶対王政の時代に最もよく当てはまります。
国王が絶対的な権力を振るっている場合であれば、人々の自由は当然に守られません。そこで人々が政治的な権力の決定に参与することは、必ず人々の自由を守ることに寄与することになるでしょう。
実際、リベラリズムの起源にあるマグナカルタは、課税に関しては議会の同意が必要だということで、人々(といっても、もちろん、貴族などの有力者に限る)の政治参加を要請しています。人々が政治権力の決定に参加することで、自由が保証される、というわけです。
この場合、リベラリズムが主張する国家権力の制限による自由の保障は、デモクラシーが主張する方向の人々の政治参加によって、はじめて実効的になるというリベラル/デモクラシーの順接関係が成立します。
歴史的には、絶対王政ないし絶対君主制から立憲君主制への移行ということが、この順接関係に対応します。絶対的だった君主の権力は、マグナカルタに始まる国家権力を制限する法としての憲法に制約されるようになり、その制約を実効的にするべく政治の決定は人々が政治参加する回路としての議会によって行われるようになっていったのです。
リベラル/デモクラシーの逆接―立憲民主制という相対的に不在の言葉
逆に、権力が人々の外部にある状況、すなわち、権力の外部性が消滅するとすれば、この順接関係は崩れてきます。権力がすでに人々の内部にある場合、すなわち、国民主権ないし主権在民などと呼ばれる状態になれば、リベラル/デモクラシーは、むしろ、逆接となるはずなのです。
人々の外部に権力があって、人々が政治に参加することが、必ずその権力から人々の権利を守ることに繋がる、という話にはもはやならないのです。人々がすでに権力である場合には、この権力から個人の権利を守るために、リベラリズム的な制約が必要とされます。デモクラシーをリベラリズムが制限しなければなりません。それが「多数者の専制」を避けるという課題です。
世界史でしばしば教えられるところによれば、17世紀ごろにヨーロッパにおいて主権国家が成立します。
主権とは「対外的に独立、対内的に最高」の権力のことですが、この言い方は、それまでの西洋国家が、一方ではローマ教皇や神聖ローマ皇帝の影響下にあって対外的に完全に独立しておらず、他方では封建制と呼ばれる諸侯間の重層的な権力関係のために対内的に最高の権力を必ずしも保持していなかったことに対応しています。この二つの制約が克服されて、国家は主権国家となるわけです。
この主権国家の最初の形態は、国王権力の正当化根拠としての王権神授説に支えられ、国王が絶対君主として主権を振るう絶対王政でした。この主権国家の主権性はそのままに、権力の正統性の根拠を王権神授説から社会契約説に取り換え、権力者を国王から国民に変えたものが、フランス革命を経て19世紀以降に成立した国民国家です。
このように絶対王政にしても国民国家にしても、主権の主権性が維持されているとすれば、それから個人の自由を守るためのリベラリズム的な制約が必要であるという事情は変わりません。
絶対王政的な君主制にリベラリズム的な制約を加えた結果が立憲君主制であることに対応して、国民国家の民主制にリベラリズム的な制約を加えた結果を表す立憲民主制という言葉があってしかるべきではないでしょうか。
にもかかわらず、立憲民主制という言葉は、立憲民主党という最近の日本の政党名(やソ連成立前のロシアの政党名)に表れているものの、少なくともこれまでの長い近代政治史・政治思想史において、相対的にあまり利用されてきていないように思われます。
そのことは、リベラリズムとデモクラシーの両者が逆接的に関係しうるということについて、これまでさほど意識されていなかったことが関係しているようにも思われるのです。
このことの意識の弱さの特殊日本的な原因は、明治維新をブルジョア革命ではなく、むしろ絶対君主制の確立に過ぎなかったとみなすような、共産党系のいわゆる講座派の歴史観が戦後日本の左派にまで影響を及ぼしたこと、またこれと対応する仕方で、大東亜戦争の原因を民主主義ではなく軍部の暴走と捉えることが主流だったことに、存しているのかもしれません。
権力が人々の外部にあるということが前提とされている限り、リベラリズムとデモクラシーは基本的に順接的な関係となり、その逆接性は視野の外に置かれることになるからです。
リベラリズムとデモクラシー、その関係の歴史的変化
以上を要約しましょう。一方では、権力が人々の外部にある場合、国家権力から人々の自由を実効的に守るにはデモクラシー的な人々の政治参加が必要だという形で、両者は順接的に関係します。他方で、人々が権力を手にしている場合、リベラリズムはときにデモクラシーへの制約とならねばならず、両者の関係は逆接となります。
国民国家は主権国家として、絶対王政の権力を引き継いでいます。絶対王政の権力から人々の自由が守られなければならなかったのと同様に、それはデモクラシーからも守られなければなりません。絶対君主を制約する立憲君主制と同様に、民主制を制約する立憲民主制が構想されなければならないわけです。多数者の専制から個々人の自由を守らなければならないのです。
リベラリズムの思想圏に属する言葉は、まずは個々人の自由であり権利であり、それを守るために国家権力を制約する憲法(立憲)であり、その制約を実効的にするための権力の分立(三権分立等)です。
対するデモクラシーの思想圏に属する言葉は、平等です。誰でもが政治に等しく参加する権利を有することを主張するデモクラシーの根源的な原理は、平等以外ではあり得ません。
リベラリズムの階級的・歴史的な中間性
歴史的に考えてみると、リベラリズムは基本的に中間的な思想であることが分かります。近世の絶対王政に対して、貴族や資本家などのエリート的な有力者が自らの自由を確保するということがリベラリズムの基本的な目標でした。
この自由というものは、リソースがなければ意味がありません。貴族や資本家などはリソースがあるので自由を享受できますが、貧農や下層労働者の自由といえば、一日中あくせく働き、ギリギリの生活を送る(不)自由でしかありません。
だから、自由は自らを実質化するためには平等にある程度まで道を譲らなければならないでしょう。リベラリズムの自由はブルジョア革命と分類されるフランス革命でまずは達成されたわけですが、それから半世紀ほど経って19世紀も後半になると、政治の中心テーマは平等となり、デモクラシーと社会主義こそが最もホットなトピックとなります。
リベラリズムは、こうして歴史的にも階級的にも中間的な存在であって、初めは歴史的に先立つものだった国王の絶対主義を制約しましたが、その後は歴史的に後続した一般庶民のデモクラシーを制約することになるわけです。リベラリズムは絶対王政とデモクラシーの時代の中間に位置し、絶対君主と一般庶民の中間の階層にその本来の位置を持つのです。
現実の歴史過程においては、19世紀後半からの社会主義運動の勃興、農村の過剰人口の枯渇による労働者の地位向上、二度の総力戦による労働者の発言力の拡大により、リベラリズムとデモクラシーの妥協、自由から平等への展開が生じました。
その到達点が、自由の平等、あるいは平等な自由を議論の根幹に据えたロールズのリベラリズムだったと言っていいでしょう。
ただ、何事も完成するときが崩壊の始まりでもあります。リベラリズムとデモクラシーの妥協は、ロールズのリベラリズムの登場とともに崩壊した。その崩壊の表現が、いわゆるネオリベラリズムの台頭ということになるのでしょう。
リベラリズムとデモクラシーその協調と対立の歴史を整理する
再度、両者の関係を歴史的に整理すればこういうことになるでしょう。19世紀への転換期に生じたフランス革命におけるリベラリズムの実現までは、絶対王政に対する反対者として、リベラリズムが主導権を握る形で、リベラリズムとデモクラシーは手を携えて進みました。
しかし、その後は、リベラリズムの自由を享受できる資本家等の中間的階級が、より下層に位置するとみなされた労働者や農民等のデモクラシーを自身に対する脅威とみなして、それを制約します。間接民主制的な近代デモクラシーを提案したアメリカの『ザ・フェデラリスト』は、この時期の産物です。トクヴィルもまたこの時期の思想家とみなして良いでしょう。
19世紀後半からの労働者階級と社会主義の影響拡大の流れの中で、リベラリズムとデモクラシーの対立の妥協が図られます。社会民主主義と呼ばれているものは、リベラリズムとデモクラシーの、いわばデモクラシー優位な合作であって、この両者の統合は、「平等な自由」を理論の根幹に据えたロールズの『正義論』で頂点に達します。
この妥協のもとで分厚い「中間」層が形成され、一般の人々も一定以上の程度で自由を享受します。リベラリズムとデモクラシー、その両者をともに肯定する心性が、このような客観的な条件のもとで大衆的な基盤を獲得するのです。
しかるに、『正義論』が出された1970年ごろは歴史の転換点であり、リベラリズムとデモクラシーの切断が図られます。この切断後のリベラリズムがネオリベラリズムと呼ばれると考えられます。それは、デモクラシー(平等)と自らを切断することで、新たに生まれ変わったリベラリズムなのです。
とすれば、冷戦が終わって世界がリベラル・デモクラシーの勝利を寿いだとき、もともと対立的な両者がなんとか妥協し協調してきた状態はすでに終わり始めていました。リベラル・デモクラシーはすでに死につつあったのです。それはもはや、切断されたリベラル/デモクラシーに戻りつつあったのです。
リベラル・デモクラシーの現在―リバタリアニズムとポピュリズムへの両極分解
最初の問題意識に戻り、リベラル・デモクラシーの現在を捉えることを試みてみましょう。
平等と手を切ったリベラリズムとしてのネオリベラリズムの支配のもとで、再び格差は拡大し、その果てに(ネオ)リベラリズムとデモクラシーが対立関係に立ちつつあるようです。現在、このネオリベラリズムと対立するデモクラシーはポピュリズムと呼ばれています。
問題は、このポピュリズムの果てに、(かつて社会主義がその役割を果たしたように)それがいわば触媒となって、再びリベラリズムとデモクラシーの妥協が実現できるかどうかです。
ここで注意すべきなのは、20世紀の両者の統合が可能になった背景には、社会主義思想の勃興のみならず、製造業や戦争などで労働者たちが社会にとって不可欠の存在、いわば社会の主役となったことがあると思われることです。
反対に、21世紀には、技術の進歩がこのように普通の人々が主役となることを不可能にしていく可能性があります。
よく想像されることですが、ロボットやAIがこの世界の維持に必要なことのほとんどを行い、それを作り出し管理する一部の超富豪・超エリートと、もはや社会に有意義な仕方で貢献することはできず、ただシステムに生かされるだけの普通の人々。そこでは普通の人々はまったく用無しであり、したがって権力に与れない。そういう世界が来るかもしれません。
このネオリベラリズムよりもさらに遠くまでデモクラシーから切り離されたリベラリズムの形態が、いまテクノ・リバタリアニズムと呼ばれているものと何らかの程度で対応するのでしょう。
それは、普通の人々を無視できるようになり、平等を掲げるデモクラシーをもはや顧みる必要のなくなったリベラリズム、ネオリベラリズムよりも極端なリベラリズムとして、正当にリバタリアニズムと呼ばれうるのです。
トランプ政権が興味深いのは、ネオリベラリズムに対するデモクラシーの反動としてのポピュリズムと、ネオリベラリズムの極端化としてのテクノ・リバタリアニズムが野合しているように思われることです。
リベラリズムとデモクラシーの関係は、フランス革命までの協調、19世紀の対立、ソーシャル・デモクラシー期の妥協、ネオリベラリズム期の断絶を経て、テクノ・リバタリアニズムとポピュリズムという形で先鋭的な対立に至っている。そのような歴史の物語を描くことができます。
繰り返しになりますが、問題は、ポピュリズムの運動がふたたびリベラリズムとデモクラシーの妥協的同盟に繋がるのか、それとも、それが失敗して一般の人々が無意義化されるテクノ・リバタリアンな未来、あるいは切羽詰まった人々が反乱を起こすポピュリスト的なカオスに向かうのか、というあたりにありそうです。
この観点からは、100年前の戦間期におけるファシズムと共産主義の台頭は、このリベラリズムとデモクラシーの社会民主主義的なの妥協が未成立ななかで生じた、デモクラシーの暴走と位置付けることもできるでしょう。
アメリカ政治に関係づけていうなら、このリベラリズムとデモクラシーの両極端がトランプ共和党に集結して、実はもはや成立していないリベラル・デモクラシーに、それがまだ持続しているかのように固執してしまった中道左派の民主党を打倒したというのが現在の状況でしょう。
結語:「21世紀の政治経済学」への示唆
本サイトの提唱する「21世紀の政治経済学」は、諸種の考慮から21世紀には最終的にMMT的な貨幣観・財政観に基づくUBI(ユニバーサル・ベーシックインカム)だけが様々な問題を解決できると主張しています。
それは中間層の完全な没落を防止してデモクラシーが暴走的なポピュリズムへと先鋭化することを防いでくれるはずですが、そのMMT + UBI体制がパンとサーカス的な専制政治(テクノ・リバタリアニズムの成れの果て?)とならないことを保証するためには、それこそ一般の人々による、無用の存在とみなされ、重要な決定から排除されてしまうことに抗する運動、すなわち、デモクラシーによる不断の活動が必要とされるでしょう。


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